受ける?/受けない?予防接種 新版に入れられなかった副作用被害事例紹介

2019年に刊行した「受ける?/受けない?予防接種の大幅増補改訂版が2025年8月30日に完成予定です。

今回はコロナ禍を経て、大幅に変わった予防接種に対応するためページ数を増やしました。

初版での副作用被害事例、とりわけ支給受け胃がん(HPV)ワクチンの被害者の声を大幅に削減せざるを得ませんでしたので、新版に載せられなかった事例をHPに掲載することにしました。ご参考にしていただけますと幸いです。

予防接種副作用被害者の声

四半世紀にわたり、多くの被害者が何重もの苦しみを乗りこえて声をあげてきました。けれども、残念ながら、これから予防接種を受ける/受けないを選択しようとしている、とくに保護者の方たちに十分この声が届いているかは疑問です。受ける/受けないを選択する前に被害の実態を知ってほしい──これは、ここに体験を綴ってくださった被害者の方々みんなの願いなのです。

事例1:DPT予防接種で重度の障害

2006年(平成18年)6月26日にAは産まれ、月齢通りに順調に発達。2006年12月16日にDPTを右腕に接種。2006年12月24日に入浴した際、DPT接種部位が肘まで腫れている事に気づき、左腕のBCGの接種部位までも発赤していました。黄色い泥状の下痢もしていました。

入浴後、仰向けに寝かしました。23時頃にベッドでうつ伏せになっていて鼻水と涎と泡が出た状態でいるAを発見。抱き上げると、汗で服がビチョビチョになり体が異常に熱く、呼吸が止まってしまいそうだと感じ救急車を呼びました。救急車要請の際に「子どもがすごい熱で、呼吸が止まってしまいそうだ」と説明し、濡れた服を脱がしている間に救急車が到着したので、裸のまま救急隊員にAを渡しました。病院に到着して処置をしている間に痙攣が重積してショック状態に。同時に一気に多臓器不全を起こしていったのです。

その後、病院に到着した時には熱がなかったという病院からの報告で“熱はなかった”と思い込んできたのですが、当時のことを思い返してみれば、やはり高い熱が出ていたし、救急車到達までの時間に汗でグッショリと濡れた服を着替えさたことを明確に覚えており不思議に感じました。(審査請求の際の資料として救急搬送時の電話記録等の当時の記録の取り寄せを試みましたが、電話の音声記録は保存期間2年、書面での記録は保存記録5年の為、入手できませんでした。)

命が助かるようにと祈りました。治れば元の姿に戻ると信じていました。しかし最重度の後遺症が残り、付いた診断は「何らかのウィルス感染による脳炎もしくは脳症」でした。医師にはDPTを8日前に接種して腕が腫れ上がっていることを言いましたが、三種混合はもともと腫れるワクチンだし、不活化ワクチンだから副反応は起こらないと言われました。「ワクチンそのものが悪さをした場合、接種後すぐから2、3日うちになる。その後免疫がつくられる頃に過剰に反応が出たとすれば2週間~3週間目。Aくんの8日目っていうのは中途半端だからそれはない」と言われました。そうなんだと当時は納得しました。

医師から退院前にDPTの2回目、3回目の接種を勧められました。変わり果てた息子の未来にも自分の未来にも希望を持てなくなっていた私は、DPTでまた痙攣が重積して死んでしまえばいいと思って承諾してしまいました。

時が経ち色んな思いを乗り越え、あの時生きててくれたことだけで十分だった。Aがいてくれるだけで充実した人生だと思えるようになっていました。だから原因なんてどうでもいいと思ってきました。

当初予防接種の健康被害について無知であったため、ワクチンで何かあったらその後のワクチンは打たないということも知りませんでしたし、子どもを守るための予防接種だと思って疑いませんでした。しかしワクチン接種による急性脳症の実態を知る程、ワクチンによる副反応ではなかったかという疑念が大きくなっていきました。

その頃カルテの保存期間が5年という事を知り2011年12月に市役所の健康増進課に相談に行き、予防接種の健康被害の救済申請を出す決意をしました。本当にウィルス感染だったのか?ワクチンの副反応ではなかったのか?それを健康被害の救済制度を利用して専門の先生方に検証してもらえると思ったのに、◯◯◯委員会の議事録では、結論が出ない議論の中で、ある委員の「6ヶ月だからそろそろ乳幼児突然死症候群を考えなきゃいけない年齢だと思う」の発言により、急に全体の意見がそのように流され、「乳幼児突然死症候群から救命しえたニアミス」と結論づけられました。

あの状態が乳幼児突然死症候群だなんて到底受け入れられないし、市の健康被害調査委員会の議事録や厚生労働省の審査分科会での議事録を取り寄せて内容を確認すると、益々不信と疑念を感じるものでした。

市の予防接種健康被害調査委員会でも、厚生労働省予防接種審議審査分科会でも、完全に否定するのは難しいと言いながら、否定する決定的なことは誰も言えないなか、突然死ということにされ、最終的に否認とされました。そもそもが市の健康被害調査委員会が出した、乳幼児突然死症候群という審議結論がベースになっており、厚生労働省の審査分科会の議事録では、審議の最後の方で「この件を認めるとワクチンで突然死まで起こるということになる訳になりますが」と確認をとって、否認ということでいいですねと結審されていました。

「不支給」という通知を受け取った後、ワクチン後に急性脳症を経験したお母さんに紹介された方に相談して、異議申し立ての手続き(審査請求)を知事に行なうことにしました。

この処分に対して、公平な立場でこの内容を精査判断するべき機関が県の立場なのに、県は厚労省が出した結論に対して、法律的な整合性を法務課の中で確認する作業しかしないで、実際に起こっている内容を精査すべき医療の専門家等に意見を聞くこともせずに結論を出そうとしているのではないかと、口述の際にはそのような内容を要望しました。県はこれまで一度も審査請求を受け付けた事がないらしく、文章の法的な有効性の有無だけで医学的に判断を見直さないで、形式的に処分に問題がないかだけをみて結論を出そうとしているのではないかと思われました。県は再審査機関なのでしっかり審査機能を果たし、被害をうけた県民の心情や立場に立って考えてもらいたいと要望しました。

少し前に新潟県知事が行なった審査では、医師や弁護士など専門家の意見を聞いた上で、国の判断を覆したということを知り、都道府県知事によって判断や対応に違いがあるのは不公平なことだと思いました。

市の予防接種健康被害調査委員会での内容、厚生労働省予防接種審議分科会の内容、私が出した意見書等の審査請求の内容、これら3つを精査して白木三(四)原則に従って本当にワクチンとの因果関係が否定されるのか?ということを、県に改めて考えてもらうよう、要望をしました。

その後2016年1月、県から不支給処分取り消しの裁決書が届きました。

不支給決定に至った審議の内容を知って、受け取ってしまった不信感と理不尽な苦い思いを、県がしっかりと向き合って鑑定結果を出して下さった事に感激し、家族一同心から感謝しました。重い後遺症と二次障害を負う子どもですが、地域のお友達に囲まれ、おばちゃん達に愛され、関わり合うことで心は豊かに成長し、我が家のかけがえのない存在です。子どものこれまでの人生とこれからの人生に、親として寄り添う事ができて幸せだというのが今の心境です。

(追補:2019.9.20聞き取り)

予防接種による障害一級認定後、新しい命にも恵まれ、充実した子育てをされています。

事例2:新型インフルエンザによる副作用発症事例

審査請求、再審査請求でも否認事例についての経緯

新型インフルエンザ接種後けいれん発作を起こし、接種8日目にてんかんとの診断をされた子どもが、治療のために通っているてんかん病院では、ワクチン接種後の脳症からの痙攣と診断されましたが、被害申請では再審査も含めて、インフルエンザワクチン接種により局在関連性てんかんを発症すると考えることは医学的に困難として否認されました。

S県内に在住(接種時はS市、現在はF市)で、12才になる女児(以下、A)が静岡てんかん神経医療センターにて入退院をくりかえしています。接種前は順調に成長していました。経過は以下の通りです。

接種後けいれん、救急搬送

接種前日、当日は、熱や風邪症状などは全くありませんでした。2010年(H22年)10月27日18時、A(当時7才8月)は新型インフルエンザワクチンを接種しました。接種後も食事を普通に取り就寝しました。10月28日深夜3時頃突然失禁(普段は夜尿などなし)しました。その時は、もうろう状態でありながらもAと会話ができ、また自分で下着の替えも自分でできました。その後、夜中ということもあり、また睡眠しました。

ところが、夜中の3時ごろ、「うーうー」とうめき声をだし、一点を凝視しました。両上肢屈曲強直間代するけいれんが15分位続き、その後 朦朧状態が続いたため救急車を呼び、静岡徳洲会病院に救急搬送されそのまま入院となりました。しかし、運ばれた病院(S病院)では、急性胃腸炎からの痙攣と診断されました。その時期は、地元の小学校で急性胃腸炎が流行っていたので、インフルエンザワクチンを打った事を病院側に伝えましたが、急性胃腸炎からの痙攣と診断されました。(けいれんによる嘔吐)強直発作あり。入院中は斜めに歩くなど直進できなくなりました。看護師は入院中の記録をしていませんでした。

10月30日に退院し、(毎日発作、一日2回発作。てんかん薬(テグレトール)を処方。薬を増やしても止まりません。11月2日の頭部CT検査では異常なしとされました。11月4日の頭部MRIでも異常なしとされましたが、脳波検査では発作波が認められ、この時点でてんかん(複雑部位発作)との診断がされました。(診断書はなし)*カルテあり

その後、毎日何回も痙攣する為、再検査し、てんかんと診断され、薬を内服するようになりましたが、日に日に悪くなる一方だったので、外来でS病院に通い、2011年(翌年4月4日(約半年後に)(独)国立病院機構 Sセンター(てんかんセンター)に転院しました。外来で、精密検査をしたところ、T先生がワクチン被害に詳しく、N先生と一緒に診療のあと、ワクチンとの関連性を疑い、4月3日の外来で「被害報告を出してください」と言ってくれましので、第一回目の申請を出した。4月11日の随液検査で脳症が見つかり、入院してステロイドパルス療法を行いました。1年後てんかんセンターの先生(I医師)に交代されましたが、I先生はワクチン接種後の脳症からの痙攣と診断しました。しかし、厚労省は急性期データがないので脳症とは断定できないとされました。

続くてんかん発作、高次機能障害

発病から4年9ヶ月経ち、ステロイドパルス療法の効きが良かったのか現在は、発作にならない限り、一応普通の生活ができるようになりましたが、一週間に数回、てんかん発作を未だ起こしています。軽度知的、学習の遅れ、広範性発達障害の診断をうけており、現在も入退院をくりかえしています。

現在は、発作は1週間に1、2回の部分発作が起きます。主に違和感としびれ。生理になると失禁などがあります。

厚労省のワクチン被害救済制度に出した経緯と結果

  • 2011.5.20 厚労省に申請①(2011S病院医療費等10~12月107,400円、1~3月35,800円、4月35,800円)
  • 2012.1.20 厚労省に申請②(てんかんセンター 5~7月105,400円、8~10月107,400円、11月33,800円)
  • 2012.10.4 否認通知
  • 2013.6.5頃 再申請(てんかんセンターI医師意見書、その後の経過)
  • 2014.8.11 厚労省に再申請の結果を問い合わせ
  • 2014.8.18 再審査結果 否認通知

という経過です。

2011年5月20日に申請書を提出し、2012年1月20日に追加資料を提出(疾病・障害認定審査会感染症・予防接種審査分科会の新型インフルエンザ(A/H1N1)予防接種健康被害調査部会)が、提出してから2年後(2012年10月4日)に否認の連絡がありました。

2013年6月ごろ再審査申請もしましたが(疾病・障害認定審査会感染症・予防接種審査分科会予防接種健康被害再審査部会)、2度目も否認でした。(審議会は2013年11月開催)

否認の理由は、初めの病院でカルテに脳症と書かれていない。例え脳症であったとしても、ワクチン接種後から脳症までの時間が短かすぎる。ということでした。

2012年(平成24年)10月4日の不認定結果の通知(厚生労働省発健1004第7号)によれば、接種後24時間以内にけいれん発作を始めて起こし、接種後8日目にてんかんと診断され、てんかん治療が開始。その後てんかん病院で局在関連性てんかんと診断。インフルエンザワクチン接種により局在関連性てんかんを発症すると考えることは医学的に困難です。[…]局在関連性てんかんが予防接種そのものによる副反応と考えるのは医学的に困難です。」というものでした。

2014年8月11日ごろ、再審査の結果について厚労省に問い合わせたところ、担当官から、「まだ審査順番が来ていないからもうしばらく待って欲しい」と言われました。しかし、催促の電話の約一週間後に、順番がまだと言われたのにもかかわらず否認の通知が来ました。2013年11月に再審査部会が開催されていたにもかかわらず、9か月も結果を知らせず、問い合わせた際順番がまだといいながら1週間もたたないうち否認の通知がきました。

同様にT県のMRワクチン被害者が2014年12月12日に審査会が認定との結論を出したものも2015年7月13日付での通知となっていることが判明しています。

再審査部会は、2013年(平成25年11月)に開催され、その時Aさんの再審査も行われていました。Aさんは、2015年7月23日に、再審査部会の議事録を請求しました(厚労省受付日2015年7月27日)が、8月26日にようやく開示決定通知がきました。(議事録の送付にはあらたに申出が必要です。)

認定非認定にかかわらず、結果の通知があまりにも遅いことは行政手続きとして怠慢としかいいようがありません。新型インフルエンザは今では季節性インフルエンザになりました。Aさんは新型が怖いということであわてて子どもに接種して被害にあったことを悔やんでいるといいます。新型インフルエンザ特別措置法が制定され、ワクチンが大量に輸入され、本来特定接種として選択的に接種がされるべきものが説明もなく接種されました。そのために被害にあった子どもは他にもいます。

事例3:子宮頸がんワクチンで被害:被害者の手記

私はN県立高校に通う高校2年生です。私がこのお話を受けたきっかけが、先月この場所で行われた薬害根絶デーに参加した事でした。

薬害根絶デーに参加して、私達の他にもこんなに苦しんでる人がいたことを知って、本当にびっくりしました。痛みで寝ることさえも困難な方、足が硬直して動けない方、体が全く動かない状態になった方や、みんなそれぞれ病名や症状は違うけど想ってきたこと、体験してきたことは一緒なんだなと、凄く共感でき、とても勇気づけられました。

中でも、余りにもの辛さに、家族に一緒に死にましょうと言われたり、死のうと思ったと言う方が多くいたので、この話を聞いた途端もう涙こらえる事ができず、会場で母とぽろぽろと泣いてしまったのを覚えています。

今、この子宮頸がんワクチンの病気と知らず戦っている人に知ってもらったり、このワクチンにかかって苦しんでる人や辛い思いをしてる人に少しでも勇気を与えられたらなという思いと、また「誤解」をときたいとの思いがあります。

この病気は複雑な症状を持っていて周囲に誤解される事が多く、「仮病」「サボり」と言われたり、ひどい人は「いじめ」を受けている人もいます。

私は、絶対にこんな事はあってはならないことだと思います。この先私達と同じ被害者が出てこないようにもっといろいろな方にワクチン被害の恐ろしさを知ってほしい。もっと世の中の人に伝えるべきだと思ます。

私は約4年前中学1年のときに子宮頸がんワクチンを三回打っています。この時の事は全く覚えていません。私は重い記憶障害があり、小学生や中学生の時の記憶はほとんど覚えていません。母から聞いた話ですが、初めてワクチンを打ってから、中学生の間はお腹が痛くなったり、腰が痛くなったり手が痺れ

たりと少しずつ症状が出ていたようですが全くワクチンの副作用とはわかりませんでした。

中学3年の冬の頃から突然朝起きられなくなり学校に行けなくなりました。卒業式も出られませんでした。母とこの頃は何度も喧嘩をしたようですが、私が「高校は絶対に休まずに行くから!」と、約束したそうです。しかし、高校に入って通えたのは二ヶ月だけ、本格的に症状が出はじめたのです。

朝は起きることが出来なくなり、熱が続き一日のほとんどが寝ている状態になりました。一気に症状が出はじめてひどい立ちくらみ、頭痛、手足の痺れ、吐き気、腰の激痛、関節痛、抜け毛、耳鳴り、そして足をひきずり階段が上がれなくなりこの頃から、住所を母が何度教えても言えなくなり過去の記憶を思い出せなくなりました。

痙攣、かなり激しい痛みを伴う硬直が起こり次から次へとわけのわからない症状が出はじめ、私は傘を杖がわりに、足をひきずりながら何カ所も母と病院を廻ったそうです。そしてやっと入院できる病院が見つかり私はそこから数ヶ月入院することになりました。

入院中のことはほとんどは覚えていませんが ほんとうに辛かったことは覚えています。

数ヶ月‥外に出ることも出来ず、ただただいつ来るかわからない全身の激痛に怯え、こらえる日々考えられますか?家族に会えるとしても週1、2回の数時間。今頃友達や学校の子は色んな所へ行って遊んでいるのだろうそれに比べて私は…何してんだろ周りの人はどんどんと退院して行くのに何でこんな場所、一人でいなきゃいけないのだろう・・そんな事を思って入院中は過ごしていました。

病状は悪化していき、寝たきりの状態になり人工呼吸器をつけるまでになってしまいました。この時の記憶は全く無く、今も自分で聞いていてびっくりするぐらい恐ろしい体験をしてきたんだと聞くたびに思います。

その時に家族とやり取りしていたメモがあります。そのメモには苦しいという言葉が何回も書いており中には死にたいとも書いていました。この後人工呼吸器を外すことになりましたがこの時の事は今でもうっすら覚えています。喉にすごくたんがつまって呼吸がなかなかできなくなり、苦しくて苦しくて頭が真っ白でした。

この病院を退院するときは片方の目がほとんど見えなくなっていました。そしてその後、症状はますますひどくなり失神痙攣を毎日のように繰り返し母も兄弟のことさえもわからなくなっていきました。

これは昨年の出来事です。

今年に入っても、入退院を繰り返しており、学校の普通に通えていませんが、それでも体調がいい日は少しづつですが、学校に通う事ができるようになってきました。

私が今学校で困っている事ですが、まず、私は上手に話す事ができません。長い文や難しい言葉は考えるのに時間がかかってしまい、紙や携帯でのやりとりがほとんどです。話を聞く事も苦手で、一言一言の単語が何を言ってるのかわからない事がしょっちゅうあり、何度も聞き返してしまうんです。

授業も聞いていても、一度にたくさんに話されるのでまったくわからずもう完全に右から左へ流れているかんじです。後で聞き返そうとメモをするけれど、それすらも覚えることが沢山でパンクしてしまい結局は毎回ほとんど聞けていません。聞くのも、一文覚えるだけで精一杯なんです。

友達と話すときも学校のできごとや、最近の話題の話をするのですが、友達の話すのが早くて、まったくついていけずほとんどあいずちをうってばかりです。

学校では視界がぼやけたり、かすんだりして黒板が見えづらいので普段は前の席にしてもらっています。それなのに、まだ黒板に書いてる字が見えない時があるんです!一番見える席に座らしてもらってるのにですよ?

他にもまだあります。授業中、頭がすごく痛くなったり、板書をしてる時、突然指先が痛くなり、少し触れただけで飛び跳ねるほどの痛みに襲われたり、後、授業でよく使う『図』を私は書くことができません。ひどい時は丸、四角さえもわかりません。漢字もつぶれてみえる事が多いので授業中、周りの友達に別の紙に一つ一つ丁寧に書いてもらってそれを見て写しています。

私達は学校ではみんなと同じようには過ごす事は出来ません!この病気は他にもほんとうにありえない事ばかり身に起こるのです。記憶障害、倦怠感、頭痛、全身の関節痛、免疫力低下、視力低下、筋力低下、月経異常、皮膚の湿疹、腹痛、目がまぶしい、目のかすみ、けいれん、まひ、過呼吸、吐き気、歩行困難、硬直、脱力、意識がなくなる、そして毎日とても疲れたり、頭がボーッとする、耳が聞こえにくい、そして友達の顔を忘れるなど、数えきれないほどの症状に悩まされています。

痛みと言ってもただの痛みではないんです。バットでたたかれるような痛みだったり、くぎで打たれるような痛みだったり、この痛みだけでも悩まされているのに、その上に又症状が次々出たりするんです。みんなが「「当たり前に出来る事」は、私達にとってはとても大変でとても苦痛なことなんです!それでも、私の周りにいる友達は私がわからないことを何回聞いても何度でも優しく答えてくれたり、私は歩くのも不自由なので、学校では、廊下や階段を歩くときは、いつも隣の席の人が手をつないで歩いてくれます。

これだけですごく安心して歩けるんです。私がこけそうな時は、後ろや前にもまわってくれてすぐ支えてくれるようにもしてくれるのです。友達がこうして支えてくれるから、そして、担任の先生や学年の先生が暖かく見守ってサポートしてくれているので、私は今、安心して学校に通えているんだと思います。

病院の話ですが、私は今、三重県伊勢市にある伊勢赤十字病院に通っています。電車で片道3時間以上かかります。そこで少し考えてみてください。私達は数10分同じ体制をしてるだけでも全身がちがちになって、ものすごい激痛に襲われるんです。そんなのが3時間も続くんです!往復で6時間以上ですよ?それを堪えながら向かってやっと着くんです。N県やO府にはワクチンの副作用をよくわかって診てくれる病院は一つもありません。

だから、こんなに辛い思いをして通っているんです。

今診てくれている先生は初めてワクチンの副作用と認めてくれてそして、とても暖かく受入れてくれました。とても優しい先生で私達のために一生懸命になってくれて本当にこのような姿に、私達は気持ちがすごく救われているんです。このような病院は関西には本当になかなかないのでもっと増えてほしい、受入れてほしいと強く思います!

そして記憶についですが、先日、母に中学生の卒業アルバムについていたDVDを見せてもらいました。そこには、私が中学生の時の、入学式、校外学習、体育祭や修学旅行などの写真が出てきて、皆とても楽しそうに笑ったりしていました。『思い出』という言葉が出てきており、こんな事が書かれていました。『みんなの真剣な顔と素敵な笑顔を残しておきたかった。私達はこの場所から素敵な思い出をたくさんもらいました。大好きな友達と笑いあったこと、励まし合ったこと。もちろんけんかもしたけれどそんな何気ない時間が今では私達の宝物です。

私達はこれから別々の道を歩んでいきます。でもこの場所でみんなといっしょに過ごした時間は一生忘れないでしょう。』

そのDVDを一緒に見ていた母は、私の横でボロボロに泣いていました。けど、私にはわかりません。母がなぜ泣いているのか私は、母から「皆、同級生よ!」と言われましたが、私には、他人の写真を見ているように見えました。

思い出とは何だろう?私には、”思い出”という言葉がよく分からないのです。母に「昔の事で覚えている事を話してほしい」と言われ、その時頭に浮かんだ事は、本当に小さい時のことでした。

私は以前はN県に住んでいました。子どもの頃はすごく活発で、公園をよく友達と走り回ったことや、冬は一面真っ白な雪に囲まれていて、そんな中で雪だるまを作って遊んだりした事長野県は星がとても綺麗で、母と弟と星座を探したりしたことがうっすらと思い浮かびました。

その時、楽しかったこと、嬉しかったことを少し振り返るだけでもすごく元気がもらえれる!

これが、思い出なのかな?と、その時、少しだけ分かる気がしました。

最後に、昨年書いた手紙を聞いて下さい。私は高校に入って間もない頃は、ほんとうに今思えば楽しかった。友達もでき、周りよりうまくはなかったけど、困ることなく話もできました。

その後、私が本格的に症状が出はじめた時、高校に入ってはじめてできた友達にさけられるようになりました。ほんとうにショックでした。

そこからすべてが変わったのです。私が行く場所すべてが地獄に見え、誰も信じることが出来なくなり、誰にも会いたくなくなりました。毎日のようにくる色々な症状におびえる恐怖、分かりますか?朝起きて、目が見えなくなっているんです。体が起き上がれなくなっているんです。手が動かなくなるんです。歩けなくなるんです。今まであたり前に出来ていた事が、出来なくなったら、どう思いますか?

もし家族にこのような症状が出る子がいたらどう感じますか?これらは、今私達が体験している事なのです。

病院も受入れてくれず、友達も分かってもらえず、家族にさえも「精神的なのじゃないか?サボりだ!」と言われ事もあり、もう何も信じられなくなった事もありました。

死にたいと思った事もありました。本当に本当に、毎日がつらかった!本当に苦しかった!助けてほしかった!

早く治してほしい。みんなとふつうの日々を過ごしたい、普通の高校生活を送りたい!

*後遺症の高次脳機能障害によ頭痛や吐き気、足の痛み等ハンス特有の症状も変わらず出たり消えたりしていますが、Mワクチンなどつかい以前に比べれば症状が全体的に抑える事が出来ているように思います。

(追補:2019.9.20聞き取りより)

事例4:子宮頸がんワクチンで被害:Mさんの母親

2012年娘中学1年生。子宮頸がんワクチンのパンフレットが学校から配られた。

保健センターからも案内の通知が届きました。テレビでも以前から、実際に子宮頸がんを経験した女優仁科亜季子さんが親娘で訴えかけるコマーシャルがしょっちゅう流れ、ニュースや報道でも、唯一癌が予防できる夢の様なワクチンとの報道に、凄いワクチンが出来たものだと喜んでおりました。

国が認可した訳だし、何の疑いもありませんでした。しかも自費ではためらうような高額なワクチンです。そのワクチンが指定期間内なら無料で受けれられるとの内容に何の迷いもなくそのワクチンを打たせました。

でもそれが悪夢の始まりになろうとは思いもしませんでした。

その副反応は接種後直ぐに出た訳ではなく、2回目を接種してから3ヶ月近く経ってから出始めたので、それが副反応だとは夢にも思いませんでした。

強烈な頭痛から始まり、腰痛、胸痛、腹痛、関節痛、吐き気、めまい、倦怠感、

脱力、過眠、低血圧、体重減少、酷い口内炎、背中一面の湿疹、過呼吸、手の痙攣、複視…

以前の元気だった娘からは考えられないくらい次々と訳のわからない症状が襲ってきました。病院へ行っても異常は見当たらず、簡単に対症療法の薬が出されました。飲んでも効く訳がないし、その薬の副作用で余計調子が悪くなりました。

副作用が少ないとされている漢方ですら寝込んでしまう程でした。婦人科では自律神経のバランスの崩れだと言われ、精神薬を処方された事もありました。

その頃には娘は受験生になっていましたが、そんな状態で受験勉強なんてできる訳がありません。成績も下がる一方で学校から帰ると毎日寝込むようになり一体この子はどうなってしまったんだろう?毎日毎日原因のわからない恐怖との戦いでした。

そんな中、ネットでたまたま見つけた子宮頸がんワクチンの副作用の記事をどんどん掘り下げて読んでいくうち、娘と共通する症状の多さに愕然と力が抜け、ようやく見つかった原因に身体の震えが止まりませんでした。

これまでの訳のわからない数々の症状が一つの線で繋がりました。もう自分の身体じゃないみたい…頑張りたいけど頑張れない、痛い、力が入らない、何も出来ない、何もしたくない、自分では全くコントロール出来ないと毎日泣いている娘を見て一緒に死のうかと考えたくらいです。だって治療法が無いんですもの!こんな事ってあるでしょうか?

海外では既に多くの副反応被害が出てた事を隠して、あれだけ大々的に宣伝して、打たせるのが義務のように錯覚させて、打たせるだけ打たせておいてこれだけ多くの被害者が出ても、製薬会社は話すら聞こうとしません。

国もなかなか動いてくれません。治療の研究も一向に進みません。

裏では多額のお金が動いている事も知りました。

しかも此の期に及んで、効果は実証されている訳ではないというではないですか!

このワクチンは国民の健康を守る為に作られたものじゃなかったんですか!?

私達は一部の人間のお金儲けの道具に利用されただけなんでしょうか!?

人体実験ですか!?こんな事があっていいのでしょうか?

もう国も何も信じられなくなりました。

こんなワクチンを打たせてしまった私はこの子にどうやって償えばいいんでしょうか?

今も沢山の被害者の方々が想像を絶するような酷い症状に苦しんでいます。

その家族も本人以上に苦しんでいます。

どうかこの事実を多くの方々に知って頂き、一刻も早く未来ある少女達を救って下さい。

生きる希望を!将来の居場所を!

そして何より、ワクチンを接種する前の元気だった身体を返して欲しい!

どうかどうかよろしくお願いします!

(2016年2月追加)

PMDA救済申請につきましては被害者会の方でも再三連絡が来ており皆さん、悪戦苦闘しながら労力を注いでおられると思います。

しかし、うちの場合、娘が病院を転々としたのは中学生の時で私が住んでいる町では、中学生までは医療補助が出るために実質医療費は無料です。ですから申請が通る事はまず無いと思われます。それに今は自費治療の整体に通っているだけです。自費治療は申請の対象にはならないので、うちの場合闘うどころか、土俵にすら上がれない感じです。

うちの子の場合、効きもしない対症療法の薬を出してもらう事くらいしか病院でできることがないから自費治療に通っているのに、自費治療は救済の対象にならないのは腑に落ちません。

でもそういう方も沢山いらっしゃると思われます。

(追補:2019年9月20日聞き取り)

年々年を追う毎に症状が回復して、酷い生理痛だけは全く治りませんが毎日続いていた頭痛や目眩吐き気倦怠感等々が今ではほぼ治まり元気に大学にも通えています。周りにはなお後遺症に苦しんでいる人が多くいます。


平成28年に菅官房長官に被害を訴えようと連絡会の方に呼びかけを行い、その呼びかけに答えてくれた方々の声を届けたいと思います。(全国子宮頸がんワクチン被害者連絡会 山田 真美子さん まとめ)

1. 福井県 Sさん

望みは笑顔で生きること。HPVワクチン接種後から笑顔が消えてしまった。笑顔でいることがつらい日々となってしまったということなのでしょう…。

2. 東京都 Yさん

この痛みや苦しみが無駄なものではなかったと思える日が来ることを願っています。

3. 山梨県 Kさん

具合が悪くなると100キロの県外の病院を往復しています。県内の医療体制や救済制度の充実を。副作用に理解のある環境を整えてほしい。

4. 東京都 Iさん

同じワクチンの被害者である全国各地に居る女の子たちに出現した、一人では耐え難い多種多様な症状。もしかしたら(さらに新たな症状が)明日自分にも出現するかもしれないという恐怖と隣り合わせで、今ある症状とともに不安な日々を過ごしています。

5. 愛知県 Sさん

菅官房長官のホームページには「誰もが夢と希望を持てるように」とあります。どうか寄り添い1秒でも早く治療方法を見つける力をおかしください。そして夢と希望を持ち、普通の生活を取り戻すことができるようにしてください。

6. 兵庫県 Kさん

学校からも接種を促され、気のすすまぬまま受け入れました。2回目接種から10日過ぎた朝突然の全身痛が起こり歩けなくなりました。この危ないワクチンのせいで更なる被害者が出ないことを切に願います。是非原因を究明して欲しいです。

7. 神奈川県 Tさん

中学1年生の時、報道、自治体、学校からのお便りで子宮頸がんのリスクを回避できるのならと接種。その後睡眠障害、頭痛だるさにより登校できなくなた。ワクチン副反応診察医師との出会いで症状改善してきてはいるが、記憶障害、計算機能低下は今も継続。

8. 茨城県 Kさん

私の望みはたった一つ。「元の体に戻してください。」私は国を、大人を信じています。

9. 広島県 Sさん

車で6時間以上かけて通院。睡眠障害、脱力感、体の痛みがあるが学校も将来も諦めていない1日も早い病態の解明と治療検査体制を整えてください。

10. 山梨県 Yさん

酷い発作を頻発し緊急入院。緊急時に近くで診てもらえる医療機関が心強い。治療は県外の病院で高速道路を利用し片道2時間。緊急時の受診が難しい。近くで安心して診てもらえる体制になってほしい。

11. 福岡県 Kさん

「たすけてください」毎日痛いです。どこを触られても激痛です。痛くて泣いています。自分でご飯を食べ、自分でトイレをしたいです。元気だったころに戻りたい。必死に生きています。未来をください。

12. 栃木県 Kさん

私の症状は、締め付け感のある頭痛、頭重感、疲労感、睡眠障害、倦怠感、不安感、吐き気、眠気、手足の冷感、めまい、立ちくらみ…体調には波があり良くなったり悪くなったりします。登校が困難で出来なくなってしまった自分へのいら立ち不安を感じます。

13. 栃木県 Kさん

続き 普通に過ごせる日常がとてもありがたいものであり、今となっては当たり前ではない。早く良くなってそんな日常を過ごしたい。私たちに真摯に向き合い1日も早い病態の解明、治療検査の体制を整え、私たちを助けてください。

14. 大阪府 Yさん

HPVワクチン接種後の中学3年生の時、突然倒れ左半身が動かなくなりました。学校にも行けず友達とも遊べずつらい4年間。いろいろな治療を受け大学に入学したが体がきつくてかよえなくなりました。心因性とは言わないで下さい。私たちを見捨てないで。

15. 福岡県 Sさん

苦しむ子どもたちを元に戻して!普通の家庭が副作用のため社会的風評や将来不安にさらされています。日本の未来を担う子どもたちが明日を生きられる様、明日に希望が持てる様、大人を信じられる様に配慮してください。

16. 埼玉県 Sさん

2年後に私は社会人になり社会貢献する立場になります。私は働けない日もあるという状況になる可能性があります。条件下にある社会は私を受け入れてくれるでしょうか?すべて自己責任の社会に出ることが怖いです。自ら望んで今の身体になったわけではない。

17. 沖縄県 Iさん

娘は16歳高校2年生です。身体のしびれやめまい頭痛等に苦しみ学校にも行けていない状況です。先日眼科を受診し視力が0.02である事と緑内障と神経系の異常疑いで連日病院に通っています。「学校に行きたい。何故、私だけ?」と泣いてばかりの娘です。

18. 群馬県 Sさん

4年前に市から送付されたワクチン無料接種の通知で接種。高校へ自転車で通学していたが意識喪失で転倒、3度目に頭部と顔面損傷し救急搬送で入院したがワクチン副反応とは気が付かなかった。せめて県内の病院で受診できるように配慮して欲しい。

19. 大阪府 Oさん

2度目のサーバリックスを接種した8日後自己免疫疾患である若年性突発性関節炎を発症。その後病状安定するまでの5か月間高校へ通うことができなかった。高校は卒業できたが、副反応のため進路変更を余儀なくされ5年経った今も痛みに苦しんでいます。

20. 鹿児島県 Tさん

強豪スポーツで有名な高校に入学。ある日突然起きられなくなりました。ワクチン接種後の中2の時からたくさんの症状に悩まされていましたが、前向きに生きていこうとする娘たちを救ってください。私たち家族、普通にただただ生活したいだけなのです。

21. 東京都 Mさん

2度目のワクチン接種直後に症状発症から既に5年以上の歳月が経過。体調の良い悪いはありますが症状のなくなった日はありません。多くの医療機関からたらい回しにされることなく治療を受けたい。国が進めた接種事業、子どもの命を絶やさぬ様、治療救済を。

22. 栃木県 Wさん

私は3年前に腕と内側の足に紫斑ができ始めました。膝の痛みや両手指の関節の違和感、腕や足に不定期に出る紫斑に悩まされています。天気の悪い日は痛みが強くなり行動をセーブし工夫しています。お願いしたいことは今の症状がすべてなくなること。

23. 愛知県 Hさん

私は左半身麻痺しています。もう4年目となっています。辛く大変な毎日ですが小さい頃からの夢を絶対に諦めたくないです。真実を見抜いてください。私達の声を聴いて動いてください。元の身体に戻してください。心からお願いします。

24. 静岡県 Iさん

私が一番生活に支障が出たのは朝起きられない事。朝起きられないので学校へ行けず部活や進学、すべてを諦めなければならないかと不安だった。理解ある先生の協力で進学できたが、私のような目に合う人がいなくなることを強く願っています。

25. 京都府 Uさん

元気に学校へ通いたい。学校生活をもっと充実したものにしたい。体育を楽しんでやりたい。副作用にはどのようなことが起こるのか事実を教えて。自分の体調を理解してくれない大人が多くて苦しんでいたので最低でも被害者になった人たちの理解をしてほしい。

26. 愛知県 Tさん

現在高校3年生です。3回目接種後様々な症状が出ました。突発的な脱力、認知、全身疼痛が主な症状です。卒業後の進路が決まっていません。この症状では通学も就職も難しくアルバイトでさえも難しい。贅沢は言いません、普通に暮らせて普通に働きたいです。

27. 兵庫県 Kさん

毎朝絶え間ない痛みと激しい倦怠感、睡眠障害で日常生活もちゃんと送れていません。早く元気になりたいのは勿論のこと一刻も早い原因の究明をお願いしたい。どうか子どもたちの声を聞いてください。

28. 神奈川県 Iさん

HPVワクチン接種したのは高校2年生。その後手首、膝、足首、指等色々な関節が痛くなり始めました。薬を飲んでいても痛い日もあり、痛すぎて寝ることもできないときもあります。当たり前のように寝て起きて走ったり歩いたりするのも私はできません。

29. 岐阜県 Kさん

とにかく頭が痛くて起き上がれません。薬を飲んでも効きません。友達は就職し飲みに行ったり遊んだりしているのに私は家に居て横になってあとは病院に行くだけ。治療は全部自費です。この先が不安でこのまま生きることが嫌です。普通の体に戻りたい。

30. 神奈川県 Nさん

私達一人ひとりに寄り添って一日でも早く笑顔で毎日が過ごせるよう医療体制の充実、因果関係の究明を。「皆に嘘つきと言われたくない」周囲の人達の理解が得られるように国として働きかけて欲しい

31. 兵庫県 Iさん

HPVワクチン接種後にひどい円形脱毛症になりウィッグなしでは生活できません。ウィッグや皮膚科の治療費用負担が大きく困窮しています。これからもウィッグの購入や治療が受けられるようにしてください。

32. 神奈川県 Iさん

小学生の頃から努力を重ねやっとの思いで希望する高校へ。スタートラインを切ったのにベットで痛みに耐えのたうち回る日々。日に何回も激痛が襲って来るのをただただ耐える。ひどい激痛と倦怠感に押しつぶされそうになっても自分を奮い立てる。

33. 神奈川県 Tさん

警察官になるのが夢だった。ワクチン接種後に倒れてから2年、全ての夢を失ったが病気になったことを恨んではいない。この病気で苦しむ全ての人たちのその苦しみを少しだけでもいいので取り除くために協力してください。

34. 静岡県 Oさん

症状が出始めたのは中学2年生の時。風邪もひかなかった自分が、頭が回らなくなって気を失い失禁して倒れたり、熱が下がらず眠れなくなったり、手足がしびれて動かなくなったりいつも体がおかしくなった。いろいろな病院を回ってヒステリーといわれた。

35. 広島県 Sさん

副反応とわかるまで約1年とても辛かった。学校に行けなくなり通信制高校へ。広島から三重の病院へ通院。親には負担をかけ兄弟にも迷惑をかけて申し訳ない気持ちがあります。偏った考えの大人たちが言い争っていると何が真実なのか分かりません。

36. 神奈川県 Yさん

現在も酷い頭痛と吐き気により学校にいけないなど支障をきたしています。毎日を普通の人と同じように過ごしたい。正確な原因の究明をお願い申し上げます。

37. 神奈川県 Yさん

症状を発症し3年半が経過。原因不明の痛みに苦しみ車いすの生活。失神、睡眠障害、意識障害、記憶障害と言った多くの症状が出ていても病院をたらい回しにされ挙句は詐病や精神障害扱いされてきた。先ずはこの症状の存在を認め救済と治療方法の研究を。

38. 東京都 Tさん

ガーダシル接種後体に異変が起き、好酸球性気管支炎という自己免疫疾患に。原因不明と言われているが服薬し何とか生活できてはいる。しかし、副作用の心配もある薬を一生飲み続けなければならない。自分の将来を考えると怖くて不安。未来に希望が欲しい。

39. 北海道 Tさん

失ってしまった夢と希望は戻りません。過ぎた日も戻りません。でも私は元の元気な体に戻りたいです。元通りの元気な心と体になれる治療ができる様にしてください。

40. 沖縄県 Hさん

1回目接種後から頭痛、口唇ヘルペス、口内炎、起立性障害に悩まされ、高校入学と同時に手足のしびれ、脱力、硬直、不随意運動、意識消失、倦怠感、まぶしさ、歩行障害他症状が増えました。私は早く元の身体に戻り、普通の生活を送りたいです。

41. 神奈川県 Sさん

2回目接種後から様々な部分の痛み、不随意運動、倦怠感、記憶障害などが続いています。身体の痛みで大好きな運動ができません。接種前の様に思いっきり走ったり体を動かしたい。ワクチン接種を推奨しないで!私達と同じ思いをする人を増やさないで。

42. 兵庫県 Tさん

中学の時は過呼吸や体力のなさを体質だと思っていた。高校に入って生理痛で失神頭が割れるような痛みしびれ、食欲不振、過眠、体が思うように動かない等自分でも何が何だかわからず不安だった。

43. 静岡県 Oさん

接種してしまったことはもう過ぎたこと。その後の対処については国が本気をだせばどうにでもなると思う。将来に不安を感じている人たちを1人でも多く助けて欲しい。

44. 大阪府 Fさん

病院へは片道3時間。安心して診てもらえる病院が近くにはない。私達には将来の夢が沢山あります。

45. 北海道 Iさん

高校1年生の夏休み明け頃からたくさんの辛い症状が出てきて驚き戸惑うばかり。学力にも影響が出て手の震えや集中力、記憶の低下。体調悪化と倦怠感に襲われ偏差値が20以上低下。医者になるという夢を諦めなければならなくなり、人生で初めて道を失った。

46. 北海道 Kさん

1回目接種後まもなく体調不良となった。片道250キロの通院。冬の通院は氷点下で雪もつもり、吹雪の日も…。病態解明もされていないので治療は対処療法。まだ16歳のこれからの人生を早く回復させたい。

47. 神奈川県Nさん

『辛い』同じ年の友人の様に普通の日常を送りたい。これ以上母に迷惑をかけたくない。自立したい。痛みのない生活、突然起こる痙攣や失神の発作に怯えなくてもよい生活、手足のしびれや震え、左半身の麻痺などに悩まされない生活、当たり前の生活をしたい。

48. 神奈川県 Fさん

6年前14歳の時に子宮頸がんワクチン接種で人生は激変。全身の痛み、失神、けいれん、聴覚異常、記憶障害…他にも書ききれないほどの症状に襲われ勉強や運動大好きだった読書に楽器の演奏もできなくなり普通のことを普通にできぬままの日々。

49. 愛知県 Oさん

サーバリックス接種後8か月にワクチンの副反応と思われる症状により就職もできず自宅療養中。症状の辛さと将来の不安をなくすために製薬会社に誠意ある対応の指導をしてください。

50. 富山県 Sさん

中学1年でガーダシル3回接種後 からだんだんと症状が強くなり体がおかしくなり、 病院を回り泣いて帰ることばかり。小児科、婦人科、整形、リュウマチ科、整体…。学校などの配慮、今後に不安。

51. 沖縄県 Kさん

3回のサーバリックス接種後から頭痛や吐き気、全身の痛み、突然の脱力、意識消失、18歳にして紙おむつをして寝なければならなくなってしまった。1日1日がつらい日々。早くこんな悩みから解放されて普通の生活が送りたい。

52. 兵庫県 Nさん

2回のサーバリックス接種後生活は一変。地獄の日々。元気だけが取り柄だったのに、全身の痛み、突然倒れ階段からは何度も転がり落ちた。歩行障害で全面解除、学習障害、不随意運動で不安の日々。心因性、精神科に行けと言われたことがショックだった。

53. 北海道 Kさん

中学1年2度目のガーダシル接種後頃から徐々に体調悪化転倒し骨折も。中学3年には強い頭痛、めまい、吐気、倦怠感で起きられなくなった。志望校を変更し近くの高校へ進学したが理解が得られず詐病扱い。身体だけでなく心も傷つけられ寝たきりの状態へ。

54. 京都府 Tさん

原因究明治療方法を見つけてください。少しでも効果のある鍼や漢方等の治療費を補助していただき大事な青春を奪ったことの悲しみを共有してください。

55. 千葉県 Mさん

普通の生活がしたい。普通に学校へ行ったり普通に就職したい。たった1本のワクチンでボロボロな体になってしまった。将来に希望が欲しい。光が欲しいです。

56. 和歌山県 Hさん

原因がわからないものをすべて「心の病気」で片づけないで!「心の病気」だという証拠を見せて!中学1年でガーダシル3回接種、2年生の半分は入退院繰り返し小さい頃から夢だった高校を諦め進学。阪大病院の対応は酷く人格まで否定する。

57. 長野県 Iさん

2回目ガーダシル接種後1か月頃から症状発症。現在歩行困難、筋力低下、関節筋肉痛。2本杖と車いすを使い支援を受けながらの学生生活。科学的根拠の立証ができなければ副反応の可能性があってもいいのか?因果関係の究明と性教育、検診の充実を推進して。

58. 千葉県 Sさん

中学3年の時自治体の助成事業で行われたサーバリックスを接種。頭痛、全身疼痛、倦怠感、睡眠障害、光や音過敏、痺れ、歩行障害、呼吸苦、脱力、握力・視力の低下、手足の不随意運動、体幹保持困難、呂律不良、月経異常。本人はもちろん支える家族も疲労。

59. 静岡県 Hさん

定期接種の知らせが市役所から届きサーバリックスを接種。1か月も経たずに激しい頭痛、吐気、手足の痺れ。その後新しい症状も出て現在も継続。打つ前はできていたことができなくなって悔しい。私だけではない多くの人達も苦しみ前に進もうとしている。

60. 埼玉県 Sさん

今まで様々な症状を抱えながら生活してきた。大学受験に向け予備校に通っているが疲れやすく1日1時間程度しか勉強ができない。大学生になっても学校に十分通えないかもしれないと不安。1日でも早く元の健康的な生活を取り戻したい。

61. 北海道 Kさん

症状発症から3年。通っていた高校へ通えず通信制高校へ転校。何とか卒業し専門学校へ入学したが退学。現在も痙攣、歩行困難な時がある。学校に通い友達と過ごす時間を失う人をこれ以上増やしてほしくない。

62. 京都府 Yさん

体調の悪い中三重の病院まで3時間。とてもしんどい。近くで診察できる医師や病院を1日でも早く作ってください。接種前の元気な体にしてほしい。私達や家族に寄り添って欲しい。

63. 愛知県 Iさん

6年程前サーバリックス接種し多種多様な症状で苦しんでいる、人生をどう乗り越えさせたらいいのだろうか?家族としてどこまで支えられるか不安。娘には社会と繋がれる人生を歩んでほしい。

64. 神奈川県 Sさん

人生の中での楽しい時間を副反応で悩んでいる。中学2年の夏ガーダシル接種後から体調が悪くなり学校、部活、友人関係でたくさん嫌な思いをした。嘘、精神的なものと疑われ自力での登校もできなくなった。沢山の事を諦め悔しさ辛さ弱さを感じ生きている。

65. 大分県 Aさん

大学受験の時に副作用発症し進学できず自宅療養中。他人と同様に生活できない苦痛に耐えてきた。金銭的社会的理由で夢を叶える機会をつぶさないで欲しい。私たちは懸命に生きています。目を背けずに手を差し伸べてほしい。

66. 神奈川県 Hさん

元の身体に戻してほしい。そのための専門医療機関を作ってほしい。なぜこんなに症状が出るのか?どうやって治療をすればいいのか?診てもらえる病院が少ない。時間だけが過ぎていく現状を変えてください。

67. 福岡県 Oさん

中学1年でサーバリックスを3回接種。中学2年から様々な体調不良が始まり全日制高校進学を諦め通信制高校へ。これからの将来が不安です。大事な大事な5年間を返して。自立できるように助けてください。

68. 奈良県 Kさん

被害者に寄り添い治療法の研究を早急にしてください。人生の一番輝いている時期を病気で終わらせないでください。

69. 奈良県 Yさん

サーバリックスを打ってから立ち眩み、頭痛、痺れ、吐気、腰痛、耳鳴り、激しい痛み、硬直、記憶障害、疲労。いつどんな症状が出てくるのか予測つかない。今のままで生きていたくない。早く治療方法を見つけ。私たちを見捨てないでください。

70. 千葉県 Bさん

12歳でガーダシル接種現在18歳。大学に通い国家資格を取得するために体調不良で何年かかっても在籍し資格を取れる制度や体調不良で休みがちであってもずっと働き続けることができる制度を考えて欲しい。たくさん勉強して働ける体力のある体に戻りたい。

71. 奈良県 Mさん

唯一癌が防げる夢のワクチン。そんな言葉を信じて打たせたがために人生が大きく変わってしまった。勧奨接種再開なんて言語道断!最低な日本にしないで、利益相反に係る人たちで情報を隠さず平等な救済を。痛いんです!辛いんです!しんどいんです!

72. 東京都 Kさん

私は現在体調に波のある不安な日々を過ごしています。一日も早い原因究明と治療方法の確立をお願いいたします。体調の心配することなく毎日を送れるようになることを願っています。

73. 大阪府 Oさん

大学受験を考えだした頃ワクチンによる症状が現れ高校に通う事も困難に。主な症状は不随意運動、自分の意志に反して体が勝手に動き続ける事は体験した者にしか分かり得ない肉体的・精神的苦痛です。精神的な症状というあいまいな言葉ではぐらかさないで。

74. 兵庫県 Nさん

中学2年に市と学校からの推奨チラシでサーバリックスを接種。2回目接種後強い頭痛と激しい腹痛。3回目接種後手が痺れ震えた。それから4年間現在もいろいろな症状で起き上がれない日々も。同じ症状の友達もいます。このままでは将来が見えません。

75. 沖縄県 Nさん

「夢をつぶさないで」中学1年でサーバリックス接種。中学2年春に酷い倦怠感続き月経過多不順痛みに苦しみ始め、低血圧、睡眠障害になった。H26年1月に嘔吐が止まらず倒れ意識低下で救急搬送後歩くことも立つこともできなくなった。娘達を救って。

76. 大阪府 Sさん

2回目ガーダシル接種後体に異変を感じた。症状が出てから4年が経過。全日制高校から通信制高校へ転学、貴重な時間を家で一人過ごし家族にも沢山の迷惑と心配をさせ悲しい。社会復帰できるか不安。身体を治して恩返しをし満足のいくまで努力できる体に。

77. 大阪府 Oさん

サーバリックスを打って歩けなくなった。学校は休学。私が思い描く未来がたった1本のワクチンで崩され不安。記憶障害、理解力低下等現在も症状継続、遠方の病院で毎月入院治療。形だけの病院はいらない。

78. 兵庫県 Hさん

サーバリックス接種高校2年夏頃今までに経験したことのない体の痛みと転倒。学校に行けなくなる日が増えていった。高校3年大きな痙攣が出て7か月入院悲劇が始まった。歩行障害全介、しゃべられない、字が書けない、全身の筋力低下で体が壊れていった。

79. 愛知県 Sさん

サーバリックス接種。座っていても立っていても寝ていても毎日地震が来ているように体が揺れているような感じがして気持ちが悪い。首から後頭部が重く痛い。言葉が出てこない。外に出るのが怖い。ひととあうのもキツイ。辛いときは無気力死にたくなる。

80. 長崎県 Mさん

サーバリックス3回接種。毎回治療のため5時間かけ移動。治療を受けるまでに4年が経過。年月と共に症状は悪化し高校は退学。これからの私たちが生きていくための制度を整えてください。お金、学校、友人、大切な居場所、当たり前の生活を失った。

81. 神奈川県 Yさん

中学3年生でサーバリックス3回接種。もうすぐ5年が経過。あと何年経てば症状は治る?あと何年たてば原因の究明がされ安心して治療が受けられる?今多くの被害者が一生懸命に症状とむきあっている。どうか被害者の実体から目をそらさずに向き合って。

82. 山梨県 Tさん

サーバリックス接種。みんなと一緒に高校を卒業したかったが今は通信制高校に。卒業はできそうだが社会に出るには体調が不安で国からのサポートをしてほしい。被害にあい苦しんでいる皆が普通の生活を送れるように支援お願いします。

83. 神奈川県 Kさん

サーバリックス3回目接種から体のあちこちが腫れ痛み出した。鎖骨、首、手の甲、手の指、腰、股関節、膝、足首、足の甲。痛みがひどくなると茶碗も持てず痛みのために寝ることもできない。痛みは不定期に襲ってきます。病院は何件も周り卵巣にも異常。

84. 北海道 Mさん

中学1年サーバリックス3回接種。体調が悪く大好きな友達や先輩方との約束を果たせなかった。体調には良い時と悪い時があるが友達に理解してもらえなかった。物忘れが酷く課題や授業道具、物の場所、友達や家族、先生や大切な人との話しも忘れる。

85. 群馬県 Kさん

子宮頸がんワクチンサーバリックスを接種し中卒のまま無職の娘を持つ母親です。体調不良、筋力低下、疼痛、視野狭窄の上に診察してくれる病院もなく、医師の暴言に人間不信となった。寄り添い治療してくれる僅かな医師と医療機関を守り増やしてください。

86. 兵庫県 Tさん

中学3年ガーダシル3回接種。高校1年から米を研いでいるような頭痛、めまい、胸痛や関節痛、過眠、不随意運動等症状が出現し将来や夢が暗闇に入り不安で不安で悔しい思いで一杯。早く治して、元に戻して。安心して子どもも産めず本当に苦しい。助けて!

87. 北海道 Mさん

癌が予防できると接種させたワクチンで何年間も苦しむことになるとは思ってもいなかった。体調不良になり病院に行っても原因不明。夢は諦め将来が不安。手に力が入らずペットボトルのふたも開けられない。病院に通院するのも1日がかり。助けてください。

『国民の生命と健康を守ることは政府の大きな責任です。健康被害に遭われた方々に寄り添い、救済制度や医療支援の一層の充実を図るとともに、国民の皆様への正しい情報の提供に努めてまいります。』と平成28年11月吉日 菅内閣官房長官から手紙をいただきました。

HPVワクチン接種後の大きな体調の変化や様々な症状について、副反応症状としての診断基準も治療方法も確立されていません。

しかし、HPVワクチンを接種したことと、その後体調がひどく悪くなってしまったという事実は変わりません。

子宮頸がん予防ワクチンと言われ子宮頸癌を防ぐと信じて打った結果がもたらしたものです。

被害を叫ぶ方々はワクチンを信じたからこその被害者なのです

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