コロナワクチン接種後にヤコブ病を発症 因果関係を求めて〜ヤコブ病患者の会にご支援を
コロナワクチン接種後、さまざまな副反応に苦しむかたが増えています。副反応と認められない中で、全国ではさまざまな被害者に寄り添う会やネットワークができました。
コロナワクチン接種後ヤコブ病を発症して逝去された60代の方の娘さんである、北海道在住の中鉢さんが『ヤコブ病患者・家族の会』を立ち上げられました。クロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)は神経難病のひとつで、抑うつ、不安などの精神症状で始まり、進行性認知症、運動失調等を呈し、発症から1年~2年で全身衰弱・呼吸不全・肺炎などで死亡します。 原因は、感染性を有する異常プリオン蛋白と考えられ、他の病型を含めて「プリオン病」と総称されます。中鉢さんは情報の共有はもちろん、同じ病に向き合う患者様やご家族の交流の場として立ちあげられ上げました。
https://sites.google.com/view/cjdkanjyakazokunokai?pli=1
コロナワクチン接種後、ヤコブ病(CJD)を発症したという報告は中鉢さんのお母さんに限りません。いわゆる狂牛病が復活し日本で約20名以上という数字があります。小島勢二先生(注)の本には、トルコ1名に始まり、フランス26名、アメリカ79名と合計130名弱が発症したとされています。異常型プリオンタンパク質を産出する遺伝子配列はグリシンジッパーモテーフと呼ばれますが、コロナウイルスを構成するスパイクタンパクにグリシンジッパーモチーフがあるとされています。コロナワクチンが開発された当初から、スパイク蛋白にプリオン領域が存在することから、将来CJD発生が危惧されていましたが、現実のものとなった可能性が高いと思われます。
コロナ副反応の報告基準にCJD発祥についての記述はありません。コロナワクチン副反応は症状は130以上とも言われています。国は積極的に副反応基準を改め、被害者救済を進める必要があります。中鉢さんのお母様の事例をご紹介します。今後、皆様からの情報もお寄せください (古賀 真子)
元気だった母がコロナワクチン接種後にヤコブ病を発症
『ヤコブ病患者・家族の会』代表 中鉢
【ヤコブ病発症~亡くなるまでの経緯】
発症時、母は68歳。医療事務(パート) 当時、母の実母が施設に入所しており、その施設に出入りするため母はワクチンを接種。
・2021年(令和3年)7月7日と7月28日に地域の集団接種会場にて、ファイザー製のワクチンを接種。
・2021年(令和3年)(以下同年という)8月14日に母と一緒に買い物へ出掛ける。その際、実家で留守番していた父と娘の「昼食のことに気を回せなかった」と具体的な違和感を訴える。その前後から「眠れない」と父や私に訴える。
・同年8月24日、自ら物忘れ外来を受診。MRIを撮るが異常なしと診断される。
・同年9月中旬頃よりラインが明らかに短文で平仮名が増えていく。目眩を訴える。
・同年10月1日、8月下旬から違和感があったようで「仕事辞めるの報告です。今までのようにできないの」とラインが来る。
・同年10月4日、父が運転する車で我が家に来て、いつもと変わらない様子で孫と過ごす。だが、壁をつたわないと階段は上り下りできない。左隣に座る子を「○○ちゃん、どこ行ったの?」と全く認識できない様子だったので、受診するよう勧める。
・同年10月5日、持病の緑内障が悪化したと思い、眼科受診。眼科で「即、脳を診てもらえる病院に行くよう」言われる。そのまま9月に受診した物忘れ外来を受診。再度 MRI 検査。脳に異常があるかもしれないと、大きな病院を受診するよう言われて、北海道脳神経外科記念病院を受診。ヤコブ病の疑いと診断。朝は歩いて車に乗り病院を回っていた母だったが、夕方には歩けなくなっており車椅子を借りていた。
診断を聞いた後、この先自宅に戻るのは難しいだろうから一度帰宅して身の回りを整えてから入院するよう1週間の猶予をもらう。
・同年10月6日7日、自宅に戻った母は全てにおいて介助が必要になる。 トイレに行く時は両脇から支え、掛け声に合わせて足を交互に動かしてもらう。脳が歩き方を忘れてしまったような印象。ベッドでの寝起きもできない。箸は使えなくなる。 日中でも眠る時間が多くなる。無意識に左腕が上がっていき、ミオクローヌスの前段階のような動きが出始める。
日毎にというより刻一刻と状態が悪化していく。本人も医師から説明を受けたてんかん発作を恐れて入院を望んでいたため、1週間の猶予を3日に切り上げる苦渋の決断。
・同年10月8日、H病院に入院。入院後3日は本人の携帯電話でラ インや電話でのやりとりが可能。 ・同年10月14日、オンライン面会。すでに会話が続かず。以降、オンライン面会も困難になる。
その後、確定診断に必要な髄液検査をするため、10月末より2週間転院。転院の際に付き添った時には、声をかけると父や私だと分かってはいるが、どの年代の時の家族として認識しているかは不明。
転院先へ向かう車内で「私 頭打ったの?」と母が私に問いかける。これが母との最後の会話になった。
・同年11月初旬、検査が終わってH病院に戻る際の付き添い時には、母は既に無言無動状態であった。
・同年11月15日、経鼻栄養に切り替え。 ※髄液検査後の病状説明の際に「ワクチンは関係ありませんか?」と主治医に質問する。 主治医の第一声は「お金が絡むからなあ」だった。後日から同様の質問には否定。
・N医師に相談。母に面会していただく。
・同年6月 CUC の在宅ホスピスへ転居。イベルメクチンとオキシカットを粉末状にして経鼻栄養のチューブで投与。面会の際、孫の声に良く反応し、覚醒している時だと瞬きしたり声がするほうへ顔を向 けたりする様子が見られた。
・同年10月末、栄養が吸収できなくなり経鼻栄養が中止される。
・同年12月7日、逝去。
訪問医の協力が得られず、自力で解剖を引き受けてくださる医療機関を探す。亡くなる 前日に協力してくださる方が見つかり、亡くなった当日無事に解剖を終えることができ た。ただ、解剖結果が出るまでに1年かかると説明を受けている。
※H病院から転院後、再度同病院の元主治医にお願いをして、令和4 年6月10日第80回厚生科学審議会予防接種・ワクチン分科会副反応検討部会に母の症 例を挙げてもらっている。
注)検証・コロナワクチン 実際の効果、副反応、そして超過死亡 小島勢二 花伝社
188p〜194p 4 コロナワクチンによってプリオン病g発症する可能性はあるか?