フッ素研究に多大の功績 秋庭賢司さん急逝のお知らせと追悼文 その1

フッ素にNO奥付より

2016年5月、中国貴州医科大学の菅志忠教授の招きでフッ素による虫歯予防の副作用について講演時の写真

2020年、母里啓子さんとヨットにて
2023年1月22日、フッ素研究会の中心的評議員でコンシューマネット・ジャパンの理事もお願いしていた秋庭賢司さんが急逝されました。コンシューマネットのフッ素問題関係の書籍の出版やHPの記事も書いていただいてきました。フッ素研究会や全国の養護教員の皆様からの追悼文を掲載するとともに、フッ素問題における市民運動や今後の問題を皆様と一緒に考えていきたいと思います。
秋庭さんには2013年にコンシューマネットが設立して最初のブックレット、必要ですか?虫歯にフッ素(絶版https://ohdake-foundation.org/水道水にフッ素を入れないで!/の書き起こし)、フッ素にNO!むし歯にフッ素はニセ科学、フッ素洗口する?しないなどの本を執筆していただきました。
私が秋庭さんと出会ったのは2000年前後、フッ素研究会が主婦連合会や日本消費者連盟、日本教職員組合、全日本自治団体労働組合が共闘して、学校でのフッ素洗口に反対運動を展開している頃でした。フッ素洗口を問題とする中、埼玉県の吉川市で水道水への添加問題が起きた時、ポール・コネットさんを招聘し大規模な集会を開催したお手伝いをしました。その後、新潟県のフッ素問題を考える会の南雲さんと一緒に厚労省や文科省交渉を一緒におこないました。柳沢文徳さんとも親交が深かったようですが、高橋晄正さんの生前葬にはフッ素研究会の成田さんと秋庭さんに大阪で会い、高橋晄正門下の人々にお会いしました。
秋庭さんは4年ほど前に歯科医院を閉鎖され、それ以後はフッ素問題の研究・執筆や全国での講演活動、趣味のヨットで全国を旅するなど活躍されていました。閉院直前に訪問した際には歯科クリニックとは思えないほど学術論文や資料が膨大に置いてありました。フッ素研究の冊子は毎年秋庭さんを中心に作成されてきましたが、昨年11月23日の41冊目(集会は42回)そのバックナンバーを閉院の際に贈呈してくださいました。英語も中国語も堪能で米国のフッ素問題を研究する団体FANの情報を紹介され、中国では菅教授と親交を深めて何度もフッ素研究会の講演に呼ぶなど国際的な研究者としての役割も果たしていらっしゃいました。
各地で歯科口腔条例の制定が行われる際には養護教員や保護者に的確なアドバイスをされていました。2021年に母里啓子さんが急逝されてからはコンシューマネットの理事を快く引き受けていただきました。母里さんを偲ぶ会やタネまき会にも出席され、母里さんと最後に過ごした能代で私が読んだ歌「逝く能代 母と歌いし 赤とんぼ 」を修正してくれたりするなど、多才な方でした。
コンシューマネットのHPでフッ素の記事を検索いただくと、秋庭さんの足跡を辿ることができると思います。また、秋庭と検索しただけでも多くの有用な記事をいただいていたことがわかります。
2022年11月23日のzoomでの学習会が秋庭さんと集会を持てるのが最後となってしまいました。そしてその報告が秋庭さんの最後の遺構になるということは全く考えられないほど秋庭さんはお元気そのものでした。
コロナ感染と発症が年末年始であったこと,救急医療にたどり着くのに5時間もかかってしまったこと、ご本人も持病に気がつかれなかったことなど、急激に悪化され急逝されたことについて、ご本人が一番無念の思いで逝かれたと思うと、言葉もありません。時間が有限であることを最後に教えていただいた秋庭さんの市民科学者として人類愛と研鑽を重ねられた強い思いを後世の方にも語り継いでいきたいと思います。
改めて偲び会などの開催を予定したいと思いますが、追悼文も呼びかけています。皆様からの声も天国の秋庭さんにお届けしたいと思います。
フッ素研究会の加藤純二さん、清水央雄さん他の追悼文をご紹介いたします。
(古賀 真子)
秋庭賢司先生 追悼
秋庭先生が亡くなられた。新型コロナ感染症は今ではそれほど怖くない感染症だと思っていただけに意外で残念だ。フッ素研究会をそれこそ一人でけん引してきた歯科医・研究者・市民運動家でした。海外の研究者や市民運動家とのつながりが広く、日本の窓口となり、研究誌の編集・出版に頑張ってこられた。大したお手伝いをしなかったことを悔やんでいます。最近、二人目のお孫さんの誕生を喜んでおられ、昨年夏には母里啓子先生をヨットに乗せてあげたという。40年以上フッ素研究会で活躍され、皆から死を惜しまれ、幸せな人生だったと、今はあの世で、微笑んでおられると思う。小生もいろいろお世話になりました。ありがとうございました。
(日本フッ素研究会・評議員 加藤純二 )
突然の訃報は、あまりにも衝撃的でした。私の63年間の人生では、身内や友人の病死や事故死、自殺など、
数多くの悲しい訃報に接しましたが、これほど訃報に激しくショックを受けたことはありません。秋庭先生からは多くの事を学ばせていただき、本当に感謝しています。
フッ素研究会が設立された1981年から40年以上に渡って数多くの研究をされ、特にフッ素の毒性等の問題点を発表された功績は、非常に大きいと思います。秋庭先生の存在なくしてフッ素の危険性を十分訴えることはできなかったと思います。
フッ素研究会の運営も、今までは秋庭先生に頼り切っていたので、今後はどう進めていけば良いのか、途方に暮れています。
秋庭先生の趣味と言えばヨットで、海外のレースにも参加したほどです。2021年にはヨットで北海道に来られ、一緒に温泉に泊まるなど、楽しい想い出もあります。その時に旭川博物館をご案内したのですが、普通は40分程度の見学時間なのですが、秋庭先生は丹念に見て回り、1時間半もかかりました。とても探求心の強い人だと感心したものです。
次に北海道に来たときは旭山動物園をご案内する約束をしていたのに、それはもう叶うことができずに悲しく思います。今後のフッ素研究は、残された我々で頑張りますから、どうか安らかにお休み下さい。
(フッ素研究会評議員・かたくり歯科 清水央雄)
秋庭先生
長い間、反フッ素運動の要として多くの功績を残されたました。その足跡は私たちの記憶にしっかりと残り、これからも長く顕彰されると思います。
秋庭先生 ありがとうございました。今はただ静かご冥福をお祈り申し上げます。
(有害物質から子どもを守るネットワーク秋田 佐々木クミ)
ポール・コネットさんより