母里啓子さんへの追悼文 その5 ワクチントーク全国 青野さん 予防接種被害者をささえる会 野口さん 練馬インフルエンザ予防接種を考える会 長戸さん
母里啓子さんの追悼文

追悼「しなやかに生きた母里さんに学ぶ」
ワクチントーク全国 事務局長 青野典子
その日が来ることを想像していなかったわけではありません。打ち合わせの帰りの電車の中で、「ピンピンコロリって言うけど、生きている間はこうやって移動できたりおしゃべりしたりおいしいものをいただいたりしていられたら幸せよね」などお互いに話していました。そのとおり、信頼し合った仲間たちと一緒の旅の最中に急逝されましたね。知らせを受け言葉を失った私に一番に浮かんだ言葉は「古賀さんが一緒で良かったね」でした。
私と母里さんとの出会いは1985年静岡で「どうする予防接種」という予防接種の問題で市民が初めて全国から集った集会の会場でした。会場にいらっしゃるということで呼びかけられましたが、名前の読み方が違ったのでなかなか立ちあがらない、ちょっと変な人という印象でした。当時51歳でしょうか。最初の頃は「国立公衆衛生院疫学部感染症室長」などという肩書に、恐る恐る電話をしているのに、不愛想な声で「はい、はい、はい」と相槌を打ち「わかりました」と言うが早いかガチャッと切ってしまい、「よろしくお願いします」も言えなかったものです。そんな経験から、母里さんに講演を頼みたいと私に電話してきたお母さんたちに「電話をして不愛想に聞こえても大丈夫ですよ。やさしいですよ」などと伝えていると言ったら大笑いしていました。
母里さんが介護老人保健施設の施設長を引き受けた時、一番にやったことは入所してくる方の薬を減らすことだと言っていました。そして、入所者と職員に対して、インフルエンザ予防接種の考え方について文書配布しました。施設長という立場で、インフルエンザ予防接種は義務ではないこと効果が低いことをきちんと伝える姿勢に尊敬の念がわきました。
1990年に設立した「ワクチントーク全国」(元・子どものためのワクチントーク全国)では年に1回程度の全国集会以外に、事務局会議を開いていました。そこでは、医師など専門家、予防接種被害者の親、養護教諭や自治体職員、こどもを持つ親も同じ立場で話すことにしていました。先生とは呼び合わずに○○さんと名前を呼び、持っている情報を交換し、互いに学び意見交換し行動してきました。学習した内容や行動してきたことを時々本にまとめ、ジャパンマシニスト社や日本消費者連盟から出版していただきました。
母里さんはいつも「事実を伝えていくことが大事」と言っていました。死亡報告はほぼ実数だけど、患者数は実数ではないものが多いこと。例えば小児科3000か所を定点として報告をあげてもらい流行状況を見ていること、また、予防接種導入直前からの麻しん患者数のグラフを見ると予防接種後患者数が下がっていると読めるけど、予防接種が始まる前からのグラフを見ると、年間数千人の死亡から100人の死亡になるまで予防接種なしで下がっていることがわかります。グラフの切り取り方で嘘ではないけど事実と違って読めることがあることなどいろいろ学びました。
2009年頃から子宮頸がんワクチン(HPVワクチン)・Hib・肺炎球菌ワクチンの3種のワクチンが輸入され、医師の判断の名のもとに同時接種が多くなり、同時接種後の死亡報告が続き、とりわけ何本ものワクチンを小さな体に打ち続けることに心を痛めていました。HPVワクチンの想像を超える副作用に対しても、2009年新型インフルエンザの輸入ワクチンの導入などに対しても、申し入れや厚労省との話などに母里さんは前面に出て活動しました。古賀さんの行動力との連携の成せる業でしたが。
母里さんから多くのことを学んだだけでなく、楽しかったこともたくさんありました。会議や集会に出かけた時はその前後で観光することが定番になっていました。母里さんと古賀さんと雪の金閣寺に行ったことも、寒かったけどよく思い出すきれいな風景の一つです。おかげさまでこんなに長くご一緒できました。
さて、母里さんの訃報を受けて2か月経ちました。先日、いつも見ている「疾病・障害認定審査会」審議結果にコロナワクチンによる認定が公開されました。ところが、そのページの欄外にこれまでの進達受理件数697件、認定件数290件、否認件数6件、現在の保留件数5件。審議結果一覧では、認定46件、否認6件、保留5件(死亡申請3件)と認定数が合いません。ちょうどその時京都の栗原さんから「健康課予防接種室に聞いたところ、12月の審査分科会で、「死亡」救済給付の審査が行われた。係の手元には数十件の請求があがっている。50件まではない。」という情報が入りました。さらに、審査分科会は毎月開かれているとのこと。どうなっているの?と質問を投げると、古賀さんから「青ちゃんどこみてるの?」と別の新型コロナウイルス感染症予防接種健康被害審査部会のページを教えてきました。そこには認定244件、否認0件、保留3件の一覧がありました。私が見ていたのは定期接種の認定審議結果が公開されている「感染症・予防接種審査分科会」です。合計すると認定数290件になりました。「どうしてこんなややこしい公開の仕方をするのかしら!!ねえ、母里さん」と声かけても・・・いないんだね。
母里さんのご冥福をお祈りします。
正義のために
多くの予防接種健康被害者の心に寄り添い、そのような視点から専門家(元国立公衆衛生院疫学部感染症室長・元保健所所長等)として、国の予防接種施策を批判することができるのは、真の専門家ではないだろうか。母里啓子さんは、真の専門家として、正義のために立場を越えて、いや、その本来あるべき立場で、健康被害者の救済に尽力した存在だった。
母里さんは、1970年代の集団予防接種禍の原告であった吉原賢二さんや藤井俊介さん(故人)らとともに、健康被害者の救済と副反応による健康被害の防止を訴えてきた。その後もMMR禍、HPV禍とも関わり、戦後日本の予防接種禍市民運動をささえた一人であった。
母里さんが提唱する必要なワクチンと不必要なワクチンをその都度判断し、選択するという考え方は、今後、私たちが進むべき方向の一つではないだろうか。そして、私たちは、母里さんの尽力を受け継ぎ、ワクチンによる健康被害がなくなる日を目指さなくてはならない。
先日、吉原さんに母里さんの訃報をお手紙でお伝えしたところ、「母里啓子さんが亡くなられた由、大変残念でした。ご冥福をお祈りいたします。」との返信をいただきました。
心よりご冥福をお祈りいたします。
NPO法人予防接種被害者をささえる会代表理事 野口友康
母里さんとのご縁
母里先生に対するメッセージですが、通りすがりの者です。母里先生の本を手に入れる事もできていません。
少しでも母里先生の事を知りたいと思い偲ぶ会の参加を希望しました。
小さな寄せ集めの様な?グループで「香港・観光と食とお買い物・金融のお話し少し」の旅で2017/1/9〜1/11ご一緒しました。朝食の時、バイキング形式でしたが母里先生のお手本になる様な盛り合わせの美しさ栄養的な事も説明して下さりその場に居た一人一人が大変感動しました。この方はどなたなのでしょう?若々しく歳を感じさせないフットワークの良さ旅慣れ自立されていて知識も豊富、誰とでもコミュニケーションを取れる高い能力。
その時名札を見て珍しい漢字の方だなと記憶に残りました(グループの中でお互いに自己紹介をする事もなく、今思いますと勿体ない)家が横浜と言う事で近く、帰りは羽田からご一緒しました。ご自宅からは「富士山がとてもよく見えるの」とおしゃっていました。
2019/12頃でしょうか、コロナが出始めた頃、たまたまある方のyoutubeを見ていたら「コロナはお茶でうがいをすると良い、そう言えば昔国立感染室長をしていた母里啓子と言う人がインフルエンザワクチンを打たないで、と言う本を書いて首になったんだ、今、ここで追及する事ではないが」とおっしゃたのでビックリ!えっ、あの母里さん、、、そうだったの!?私は全く知りませんでした、、
本も絶版になっているとの事で手に入りません。今回の件も友人が送信してくれたyoutube「自立と共生マイクリレーハミングバードプロジェクトのマエダさん」のメッセージで訃報を知り衝撃を受けました。何だか目には見えないものに導かれている様で、いてもたってもいられなくなり連絡をさせて頂いた者です。どうぞ色々な事を教えて下さい。私も年を重ね孫もいる者です。生き方を問われていると思います。
横浜市 YW
進歩なき日本
母里啓子先生の思い出
母里先生と出会ったのは、40年近く前のことでした。
その年は、インフルエンザが、全国的に大流行、娘の小学校でも、学級閉鎖が相次ぎました。秋に、ほぼ全員の生徒が集団でワクチン接種を済ませていたにもかかわらずの惨状でした。当時の接種通知には「学童には接種が義務付けられている」とあり、その強い文言におののきながら小1の娘に接種を受けさせた私は、この事態に納得が出来ず、養護や校医の先生に説明を求めましたが、満足な答えは得られませんでした。当時はネットなどもなく、手探りで、調べを進めていくと、各地に学童集団接種に疑問を持つ市民団体やワクチンの副作用被害者の方々が大勢いること、そして横浜の衛研のレポートから、長年、疫学調査を行い、インフルエンザの学童集団接種に疑問を持つ「ははざと けいこ」氏の存在を知りました。後に公衆衛生院の「もりひろこ」先生をお尋ねして同一人物と分かり嬉しい出会いになりました。先生はインフルエンザ予防接種の問題点を様々に語って下さり、先生の熱意に背中を押されるようにして、私たち市民、被害者、医師、研究者は、お互いをたぐり寄せてつながりを深め、勉強会を重ね、討論を繰り返しました。
インフルエンザウイルスは変異してしまうので、前年の株から作るワクチンは効かない。そもそも学齢期の健康な子どもたちに、インフルエンザによる死亡リスクはない。さらにワクチンには副作用があって、重篤な被害、時には死亡する子どもまで出る。子どもにとっては、必要性も有効性も安全性もないワクチン接種が、毎年、全国の学童に義務化されていったのです。その理由は、社会防衛、すなわち子どもが大人に移して社会経済活動を停滞させないため、あるいは高齢者に移して重篤化し病院生活を麻痺させないためという感染症対策の戦略にありました。
母里先生はじめ医師・研究者らの長年の知識・経験、研究から科学的論理的な論拠を得た私たちは、ワクチン接種のボイコットを全国に呼びかけ、厚生省(当時)や自治体、政治家たちに問題を提起し、学童の集団接種の中止を求めて交渉しました。その結果、予防接種法が改正されてインフルエンザは外され、学童の集団義務接種は終わりました。今、振り返ると、私たちの運動が実ったのも、母里先生の存在なくしては考えられません。厚生行政の研究機関に身を置く立場の先生が、市民運動を支援するにあたっては、先生のさらりとした表情からはうかがえない熱意と強い覚悟があったことが察せられ、胸が熱くなります。
公衆衛生院を退官された母里先生は、子どものためのワクチンについて著書を出版し、ワクチントーク全国の代表としてもご活躍下さいました。幼い子を持ち日々の育児に追われ、感染症の実態もワクチンの有用性についても情報がない中、次々に届く予防接種通知に戸惑う多くの親にとって、先生の著述活動は、大いなる道しるべになりました。
のみならず、先生のご本は、啓発書の域にとどまらず、厚生行政、医療産業に対する告発書でもありました。更に、先生は、私たちに多くの知識を惜しみなく与えながら、私たちへの問いも発し続けておられました。
昔、伝染病患者は、保護され治療されるべき存在としてではなく、犯罪者のように取り締まり隔離排除されるべきものとして扱われていました。
先生が研修医のころ、子どもたちに接種されていた日本脳炎のワクチンは、試験管の中でドロリと濁っており、副作用が多発していました。それに対して、競馬の競走馬に接種されていたワクチンは透明で安全性も高く、いかにして、子ども用ワクチンを競走馬並みに精製できるかが、先生に与えられた研究課題だったそうです。子どもの命・健康が、経済動物よりも軽んぜられていることに衝撃を受けたと語っておられました。現在では、発症例のない感染症であるにもかかわらず、副作用だけ出すワクチンが、子どもたち全員に打たれています。時代は変わり形は変わりましたが「一体子どもの体を何と思っているのか」、その体質は変わっていません。「脅せば脅すほどもうかる医療産業」「薬は、病気の人にしか売れないが、ワクチンは、健康な人を脅せば
脅せば全員に売ることができる」という言葉は、厚生行政も含めた医療産業に対する先生の渾身の皮肉でした。退官後の先生は、解放されたように、歯切れよく、切れ味鋭く、ワクチン行政や業界のありさまを痛烈に批判されました。
同時に、「ワクチンが人の免疫応答を引き起こすものである以上、副作用のないワクチンは、絶対に作れない」と、研究者としては苦渋の敗北宣言もなさっていました。「安全なワクチン」は形容矛盾。ワクチンが危険物だからこそ免疫応答は起きるのです。多くの被害者を忘れてワクチンを論ずることはできません。
また、こんなこともお話しくださいました。麻疹(はしか)は、かつて命定めと言われるほどの恐ろしい病気でした。終戦直後の日本では1万人近くの子どもが命を落としました。ワクチンが開発されたのは、高度成長を遂げた1970年代。しかし、その頃までに、麻疹による死亡者は、100人以下に減っていました。1万人の死亡者を100人以下にまで減らしたのは、明らかに、ワクチンの力ではありません。ワクチンの力に頼らずとも、栄養状態の改善、医療機関の充実などで死者を減らせたのです。「感染症は、貧困や紛争の地で猛威を振るう」「感染症対策は、ワクチンだけではない。ワクチンは最小限に」と先生は、繰り返していました。
麻疹は、ワクチンが義務付けられ全員が接種したことで、流行がなくなったかにみえました。しかし、大人になって散発的に流行する例が出るようになりました。ワクチンでできた免疫は、自然感染とは異なり、母体から新生児に受け渡されるほど強くないために、0-1歳の子が麻疹にかかるようになりました。「ワクチンが感染者層を広げてしまった」と先生は指摘されていました。
終生免疫というのは、周りに適度な流行があることによって追加の免疫刺激を受け、免疫力の再強化が続いて獲得されるものだったのです。
ヒブや肺炎球菌などの常在菌にワクチンで対応するなども無意味。免疫力の弱い0歳児に無理やり抗体をつくらせるために加えた添加剤の毒性や、のちのアレルギーの方が危険だと警告していました。
他の現行ワクチンの問題点についてもるる語られ、更にまだまだ言いたいことがおありだったと思います。が、これまで先生が指摘されたような様々な事柄をつなぎ合わせて考え、私たちが理解したことは、日本における現行ワクチンは、一部のハイリスクの子には必要であっても、健康な子どもたち全員に接種する理由などないという事でした。「絶対病気にかかっちゃいけない」なんて思うことはなかったのです。「自然は人知を超えたもの、西洋医学よ謙虚であれ」ともおっしゃっていましたね。
それにしても、子どもの命と健康を守るべき厚生行政が、業界擁護を優先して制度を守っている現実に、震えるほどの怒りと恐怖を感じます。先生の正義感がこれを許せるはずはなかったのですね。
今、感染症の危機が激減したはずの先進国を含め、世界が、新型コロナのパンデミックに直面しています。世界は、病像も定かではないまま、見切り発車のワクチンを求めて大騒ぎです。
私たちは、逃げまどいながら、先生の言葉を思い出します。感染症対策はどうあるべきか?囲い込みはできるのか?目指すのは流行をなくすことか、死者を減らすことか?集団免疫という社会防衛は?ワクチン以外の対策は?
そもそも、どんなに科学技術が発達しようと、大自然の中から感染症も病も消えることはありません。誰もが罹り得る病を私たちが、どのようにとらえ付き合っていくのか、どう生きたいのか、実は私たちの人生観や価値観が問われていると感じています。そして、これは、先生の問いでもあったのですね。
こんな時こそ、先生の言葉をお聞きしたかったのに、私たちは、未熟なまま試練に放り込まれ、半分おぼれながら、先生の言葉の切れ切れを思い出し、冷静を取り戻そうとしています。先生を失うことは、無念無念でたまりません。先生の教えを胸に、私たちが自分の判断にたどり着けるように、非力な私たちを見守って下さい。
これまでの優しく力強いお導きに心からの感謝をささげ、ご冥福をお祈りいたします。
2021.12.20 練馬インフルエンザ予防接種を考える会 長戸 かおる