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母里啓子さん追悼文 その4 下川の思い出 奈良でのワクチントーク 学会での思い出

2014/6/15 初めてお招き。お年寄りを想像していたから講師席には椅子を 用意しましたが、途中から立ち上がって熱く語って下さいました。

北海道下川町から

第一子を産んで次々届くワクチンの案内レター。行かないと保健センターから電話。「副反応が心配なんです。」とわたし。「病気になってつらいのは赤ちゃんですよ。」と保健師。

 

小さな町で、あの家は子どもの予防接種に来ていないと噂され、ワクチンの話題は触れないようにしていた新米ママだった私が悩んで頼ったのは、ジャパマの本に小さく載っていたワクチントーク事務局の電話番号でした。

青野さんは、母里さんと話すように勧めて下さり、片田舎の主婦がお医者様に電話をするという大事業にドギマギしましたが、母里さんは気さくに「雪が解けたら行きます」と言ってくれて涙が出そうなほど嬉しかったです。

下川町での第一回目の講演会は、母里さんの交通費と講師料を町の助成で賄おうと計画していましたが、予防接種を推進する町の方針と講演会の主旨が合わないという理由で助成が叶わず、収入は参加料だけが頼りに。

来てもらえないかもしれないと不安な気持ちで、母里さんに事情を伝えましたが気にする様子がなく拍子抜け。迎えた当日、何人集まってくれるかドキドキ、続々と会場に人が増えて東京だと10万人規模の参加者が、母里さんの言葉に驚き、頷き、一言も聞き漏らすまいと耳を傾けました。

このとき、私は母里さんに「赤ちゃんの小さな細腕に注射針を打つことを想像するだけで胸が苦しくなる」と言うと「そう、その感覚でいいのよ」と。難しいことはわからないけど、感覚を信じたらいいんだと、とても楽になりました。

講演後に町内を案内しているときに、犬がじゃれて母里さんに飛びつき洋服に足跡をつけられてしまったことがありました。「明日の講演でも着るのにねえ」と言われたので、どうしよう~お医者様の洋服のクリーニング代はいくらかかるのか!?と焦りましたが、母里さんは、「梅の花(の模様)にも見えるわね」とにこやかに言ってくれて(全然見えなかったけど)、ワクチンだけじゃなくて人生の先生だと感服しました。

その後、2017、18、19年と古賀さんとお二人で下川での学習会に足を運んで下さりました。ワクチン打ってない息子たちは病気知らずの元気印に育っています。母里さんが教えてくれた「タダほど高いものはない」ということを子育ての色んな場面に当てはめて考えています。

母里さんがこの町で種をまいてくれたおかげで、町でワクチンの話ができるようになりました。打っていても、打っていなくても、あ、そうなのと受け入れてくれる地域になりました。

ご自分のことを「ぼさっと(母里)」と言っていたけど救世主ですよ。

また一緒にアポロで鹿肉食べたかったです。

母里さんと古賀さんから受け取った種を、私も実らせて蒔くのが恩返しと思っています。本当にありがとうございました。

2017/6/26 講演後のランチ会でも、気さくに質問に答えてくださいました。 の手作りカレーでランチ会も。

WE💛
 MORI

 


奈良から 母里さんありがとうございました。

もう30年も前のこと、奈良教職員組合が再建結成され、何も分からないまま私が初代の養護教員部長を務めることになりました。日教組養護教員部運動を通じて、インフルエンザの予防接種を受けた子どもたちが、ワクチンの副反応で命を奪われたり、重い障がいを背負わされたりしていることを初めて知りました。病気を予防するためのワクチンで健康被害にあわれたのは、インフルエンザだけではなく、他のワクチンでも多くの人たちとりわけ子どもが犠牲になっているということを知るにつれ、私の心の中に怒りが沸々と湧いてきました。そんな頃に「子どものためのワクチントーク」に参加することになり、母里さん、古賀さん、青野さんとの出会いにつながりました。

ワクチンについて語る母里さんは、どこか怒りを抑えているように見えて、最初は少し恐そうな感じがしましたが、実はとてもおおらかで、優しい目が印象的な方でした。

私の娘に子どもが生まれ、娘自身が我が子に予防接種を受けさせるべきか、やめておくべきかと随分悩んだときに、東京で開催されたワクチントークに一緒に参加しました。娘は母里さんのお話をうかがい、随分気持ちがスッキリしたようで、自分でしっかり考えてワクチンを選択しました。しかし時間がたち、また迷いが出てきたときに、古賀さんのご自宅で、母里さん、青野さんの3人が、娘のために学習会を開いてくださいました。そして学習会の後に近所のお店でランチをいただきました。その時の母里さんの優しい笑顔が今でも目に焼き付いています。

母里さんの訃報が届いた時、一瞬時間が止まったように感じました。いつも元気で力強い母里さんが、こんなにもあっけなく逝かれるなんて…。今でも信じられません。母里さんからいただいた多くの教えに感謝しています。本当にありがとうございました。

植野 幸子


母里啓子さんとの出会いと別れ

田中真介

 

母里さんのこと、丁寧に書き綴ってくださってありがとうございました。旅先でも元気だった様子が手に取るように伝ってきました。お別れはちょっと早過ぎますね。またいつでもすぐにでも会って、ゆっくりお話が聞けると思っていたのになあ。

●出会い
 初めてお会いしたのは、1998年の5月頃でした。その前に藤井俊介さんのご紹介で、お電話でお話ししています

京都の龍谷大学で、その年の秋に日本応用心理学会の年次大会が開かれることになり、私は事務局を担当していて、大学院生たちと一緒に準備を進めていました。大会会長の田中昌人先生が、ずっと関西訴訟の弁護団に協力して、被害を受けた方々の発達診断と、療育・介護生活の実態をとらえるために24時間のタイムスタディを行っておられました。

そのような経緯があって、このときの大会での主要な企画のひとつとして「予防接種被害と応用心理学」というテーマで公開シンポジウムを行うことになったのです。心理学の学会大会で、予防接種被害の問題が取り上げられたのは初めてのことでした。藤井さんは、シンポジストとして母里さんを紹介してくださったのでした。

秋の大会のときに、京都に来てシンポジウムに登壇してくださるようお願いするために、私は新緑の季節に母里さんを訪ねました。横浜市旭区の旭保健所の所長をされていた頃です。その後いつもそうでしたが、その時も気さくな笑顔で迎えてくださって、ふっと肩の力が抜けたのを懐かしく思い出します。

大会当日には、山本英彦さんと藤井俊介さんともども、貴重なお話をしていただきました。大会論文集の特集ページをお送りしておきますね山本さんは最初に、「僕がいちばん端っこで、横が母里さん、そしてその隣が藤井さんです。この座った順に、ワクチンを勧める度合いが違うんですけどね。僕が一番穏やかで…」と、大阪人のセンスで絶妙なつかみを入れてくださって、会場がほんのりとした笑いに包まれながら話が始まったことをよく憶えています

母里さんはほんのりと笑いながら、山本さんの話を受けて、ご自身が携わっておられたワクチン研究のことから話を始めてくださいました。大事な問題と取り組むときほど、楽観的に、楽しく。事実をもとに、被害を受けていちばんたいへんな生活を強いられている方たち、家族の方たちを大事にしてしっかりと支えていく。そういったことまで教えていただいた時間でした。

母里さんは、ワクチンの語源、副作用被害が放置され続けてきた歴史と現状そして被害訴訟の原告の方たち全員の一人ひとりの病状をまとめた資料に基づいて、予防接種によって多くの被害が出ても接種を中止できない日本の現状について話してくださいました。いい出会いでした

1998日本応用心理学会(予防接種シンポ)保存版のサムネイル

●別れ

2021年5月30日のワクチントーク全国集会には、事務局の部屋で母里さんやスタッフの方たちと一緒に私もzoomで参加しておりました。自分の出番が終わると隣の部屋にいた私のところまで遊びに来てひとしきり話をされてまた戻ったり。いつのまにかアットホームな雰囲気に包んでくださっていて楽しかったです。

翌日、母里さんや古賀さんと一緒に、虎の門ヒルズや愛宕神社を歩きました。ワインのお店で昼間から絶品の赤ワインを飲んで、何これ違う飲み物ですねといった話に花が咲いて、美味しくて楽しい思い出になりました。そのあと、横浜まで帰る母里さんと二人で新橋駅の方まで歩いたのでした。

道すがら気さくにいろいろ話してくださって、ニコニコと笑いながら、身近に集ってくださる方たちのことを楽しそうに語っておられたのをよく憶えています。あーもっとゆっくり話をしておけばよかった。東京駅から新幹線に乗って京都に戻りながら、母里さんと初めてお会いしたときのことを振り返っておりました。

偲ぶつどいの準備、ありがとうございます。

年長者や親は先に亡くなるものですし、こんな日がいつかは来ることはわかっていたのに、やはり急だと心の準備がおいつかないものですね。

何だか旅の途中に、突然にパッと消えるように別の旅に旅立ってしまわれて。残されたもんはたまったもんじゃないわ。また一緒に赤ワインを飲もうと思ってたのに。

でも最後まで母里さんらしくて…幸せな人生だったと信じています。
 できればゆっくりと時間を巻き戻すようにして新幹線に乗って、新橋駅で降りて虎ノ門ヒルズから愛宕神社を歩いて、つどいの会場に伺えたらと思っています。

(2021年12月15日たなかしんすけ)

 

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