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母里啓子さんへの追悼文を公開します その1  各地に広がった運動の輪 EBMとタネまき会

2021年12月26日(日)に日本教育会館で母里啓子さんを偲ぶ会を行うことをお知らせしています。

母里さんへの追悼文が寄せられていますので、順次お知らせしていきます。


母里啓子さん北海道に20年も感染症のメッセージをありがとう!! 

                        ワクチントーク北海道 代表 荻原敏子

 

母里さんの突然の訃報に北海道の仲間は皆さん驚き、信じられないまま1か月が過ぎようとしています。北海道と母里さんとのつながりは深く、もう20年以上になります。北教組養護教員部で問い直した「感染症とは」「ワクチンとは」どう考えたらいいのかの基本の木から学びました。ウイルスとの共存、ワクチンの有効性・安全性・必要性などまた、被害者への対応や、救済制度など。皆さん母里さんの弟子になりました。

特に2015年日本脳炎ワクチンの定期接種が導入されそうになったのをきっかけに古賀さんともどもお付き合いは公私ともに深く、北海道にワクチントークができたきっかけになりました。以前より、下川わわわ大学とのお付き合いが先に始まり、皆さんとの交流から毎年古賀さん・母里さんの北海道行脚が始まりました。

帯広・十勝・下川・富良野・旭川とフッ素問題。ワクチン問題、日本脳炎・子宮頸がんワクチンの問題点などワクチントーク北海道もお供して「こがもりの会」として講演して歩いたのが昨日のように思われます。

2016年日本脳炎ワクチンが北海道で定期接種にきまり、2015年7月に北海道として定期接種は必要ない、区域指定にもどすこと、保護者の選択権を求めた署名は37,328筆その後も道知事に対して要請し続け昨年で10回目になりました。

毎年道より回答をいただき、少しずつワクチントーク北海道の存在が無視できない存在となりつつあります。これも母里さんの教えに沿いパワーをいただき困ったら相談できる体制があるからできたことです。感謝しても足りません。何回も北海道講演をされていますが、2021年のワクチントーク北海道オンライン集会が母里さんとの最後になったのは本当に残念です。でも新型コロナウイルスのことコロナワクチンの副作用など有害作用で亡くなった方はもう1300人を超えています。母里さんの名言で持病のある人はワクチンを打ってはならない。持病で亡くなってもコロナ死にされ、ワクチンで死んでも特異体質持病扱いにされる。この国はどうなっているのか?私は今までワクチンは打たずに86歳まで生きてきたが口癖でしたが、本当にこれから益々ワクチン被害者が増える実態を心配されていました。益々コロナ禍ワクチンパスポート等本来とは違う方向の今ですが、

私達は母里さんの遺志を受け継ぎ、被害者の立場に立ち諦めず、真実を追及していくことに努力したいとおもいます。

また母里さんの「なにしてるの!!しっかりして!!」と叱咤激励を感じながら頑張ります。

本当にありがとうございました。合掌!!


母里啓子氏の突然の逝去を悼むー遺志を継ぎ予防接種の科学的施策の推進を

                                  山本 英彦

 

2021年10月、ワクチン被害者やワクチントークを支え、今も新型コロナに対する「タネまきトーク」も支えている一人である母里啓子(もりひろこ)氏が突然逝去された。

医問研も20年来教えをいただいてきた立場から哀悼の意を表するとともに、コロナ禍を利用した非科学的な予防接種政策拡大による被害を防ぐためにも、一部ではあるが氏の功績を紹介し、私たちの活動の中で継承したいと考える。

母里氏はウィルス学を学んだ研究者であったが、ワクチン製造過程に接するなかで、不純物の混入したワクチンを在庫処理のため放置使用した上司の方針に衝撃を受けたという。また、種々ワクチンの強制接種被害に触れる中でワクチンに対する疑問を持つようになったという。

私たち医問研は1990年代MMRワクチンによる無菌性髄膜炎問題を通じたワクチントークとのコンタクトから母里氏との交流が始まった。

母里氏の功績の一つにいわゆる1987年のインフルエンザワクチンについての前橋レポートがある。1970年までに多くのワクチン被害者が発生した。インフルエンザワクチンもその一つである。多くの被害報告を背景に、「インフルエンザは小児にとって軽いが流行は大きい。一方高齢者は重症化する。小児の感染を防げば高齢者の重症化を防げる」という3段論法に基づきインフルエンザワクチンは1979年以降集団接種が義務化されていたが、学童のインフルエンザ集団接種が無効であることをデータで示したレポートである。このレポートや高橋晄正氏らの論説、被害者の運動をバックに1987年集団接種は中止となった。

もう一つ、母里氏の功績について、1994年小児医学雑誌に投稿された「予防接種被害とその対策」と題した論文を紹介したい。70年代から予防接種被害と訴訟が相次ぎ、約20年後の1992年の結審で国家責任が認められ、1993年には被害認定は2000例を超え、1994年には予防接種法が改訂され義務接種は中止となった。この論文はこういった経過を東京、大阪、東海、九州の集団訴訟についての143例の具体的な被害内容とともに紹介したものである。予防接種被害の具体的な実態に触れたこの論文が多くの小児科医に与えたインパクトは大きかった。それにとどまらず、母里氏はこの論文の中で副作用サーベイランスシステムの充実と可視化、健康被害への迅速な対応を訴えた。

 その後の母里氏の活動もワクチントークに集う方々とともに、肩を張らずに全国の予防接種被害者を軸に、養護教員、医療関係者らとともにあった。

 氏はコロナ問題にも携わっている。氏の抱えてきた宿題はコロナ禍の渦中での大きな現代的な予防接種の課題として私たちの眼前にある。氏の遺志を継ぎ、医問研も新型コロナ対応に象徴され、今のインフルエンザやHPVワクチンにも続く非科学的行政への批判を強め科学的施策を推進する所存である。


母里啓子先生に教わったこと

    ライター 戸塚 美奈

「効きません」「いらない」

最初にお会いしたとき、「インフルエンザワクチンが効かないって、本当ですか? 打たなくても大丈夫ですか?」と聞いた私に、即座に、そしてにこにこと母里先生はおっしゃった。

「効きません」「いらない」

2007年。インフルエンザワクチンを打ちましょう、と、学校で職場で病院で、あちこちで聞くようになっていた。あれ?インフルエンザワクチンって、効果がないから学校で接種もいつの間にかなくなっていたよね? それがどうしてこんなに宣伝されているんだろう。

次男がインフルエンザにかかったとき、処方されたシンメトレルでひどい副作用が出た。以来、信頼できる情報を求め、私はジャパンマシニスト社の発行する雑誌「ちいさい・おおきい・よわい・つよい」や刊行物を食い入るように読んでいた。手に入る情報の中では、ワクチンについて、もっとも明確に切り込んで言葉にしているのが母里啓子先生だった。話を聞いてみたい。わからない部分をもっと深く伺って、納得のいく本を作りたい。どんな先生なのだろう? 他の媒体には出ていないということは、何か事情がある難しい先生なのだろうか? ご本人に会いたい。実物と会って、本人の口から、ほんとうにインフルエンザワクチンが効かないのかどうか、確かめたかった。思い詰めるあまり、ジャパンマシニスト社の編集部にあてて手紙を出してしまった。

編集部の方も驚かれていたに違いない。退職後、静かに「ち・お」編集委員として過ごされていた先生を、どこの馬の骨ともわからないライターが呼び出してしまった。版元である双葉社の編集者といっしょに、東戸塚の待ち合わせ場所で待っていた瞬間のことを忘れることができない。駅のモールのエスカレーターから先生とジャパンマシニスト社の編集者の方が談笑しながら降りてこられるのが見えた。

ご挨拶をしたときに、目尻の下がったやさしい笑顔で「お手紙をくださって…」とおっしゃった母里先生。その一瞬で、母里先生が医学博士という権威にものを言わせるたぐいの人物ではなく、本物の知性をもった人格者であることがわかった。

母里先生は講演会で若いお母さんと会ったときに「ナマ母里啓子と会えた、って喜ばれたの」とうれしそうに話していたけれど、紛れもなく、私自身も本物の母里啓子先生に会いたいお母さんの一人だった。

インフルエンザワクチン? 効きません、いらない。母里先生の笑顔の答えに、大きな荷物を下ろすような、なんともほっとする気持ちがしたものだ。

                *

その年の年末には、最初の本「インフルエンザ・ワクチンは打たないで!」を刊行した。

最初の本が出た後も、2010年に新書「インフルエンザワクチンはいらない」、2013年に「子どもと親のためのワクチン読本」2014年に「もうワクチンはやめなさい」(すべて双葉社刊)と改訂も加えると1、2年ごとに先生にくっついて本を作ってきたことになる。

幸いにも、最初の本では母里先生の最愛のお連れ合いが、その後の本では、母里先生と一緒に長年活動されてきた古賀真子さんが、読み合わせや校正に関わってくださった。

なにしろこちらは医学も科学も素人である。母里先生が話した内容を私が文章に起こし、構成をした。それを先生とていねいに読み合わせをし、直した文章をまた読み合わせる。時間をかけて作った。

「私は言いっぱなしなの。辻説法は得意だけど、言いっぱなしにしちゃうもんだから、言葉にちゃんとお洋服着せなさい、って言われる」そう笑いながら、おしゃべりから自由に文章を起こすのを許していただいた。書いた物は丁寧に声に出して読みながら確認され、言い回しなども適切に、ときにユーモアを交えて修正された。「母里節」とも言える名調子で名言が飛び出すこともあった。ライブで聴いている私は拍手喝采だったが、読者には誤解を与えると編集者に却下されるものも多々あり、これは残念だった。

基本中の基本から教わった。ウイルスと細菌は違うこと。ワクチンには生ワクチンと不活化ワクチンがあること。口や鼻などの消化管から入れることと注射器で入れることは全く違うこと。インフルエンザウイルスは鼻やのどなどで増える感染症なのだから、血中に抗体ができても感染を防ぐことはできないこと。

医者にありがちな、医学や科学を学んでいない人が首を突っ込むなというような権高さとは無縁で、わかりにくいことは何度も言い換え、よりわかりやすい言葉で、かつ、誤解のないように解説してくれる。贅沢にも、特別講義を受けているようなものだ。

いつの間にか、先生の思考が微生物の世界に飛んでしまうこともあった。

ワクチンの普及ですっかり姿を消したはしかのウイルスのことを、「はしかウイルス、いったいどこ行っちゃったんだろう? たまに出るんだから、どこかにはいるんだよね」と突然脱線してネットであれこれ調べ始めたり、そうかと思うと、やおら電話帳のような『国民衛生の動向』を書斎から持ち出して、感染症による死亡数をチェックし「へー、まだこれだけ出てるんだ」と感心したり。

先生にかかると、ウイルスや菌も恐怖の病原体というより、必死で地球上に生きているちっぽけで健気な生き物のように思えてくる。

「そういえば、昔、天然痘が撲滅させられて、天然痘ウイルスがかわいそう、って気の毒がってた先生がいたよ。私はそこまでじゃないけど(笑)」

母里先生にとっての「科学」                

母里先生は、自ら調査し、確認したことを柱にして話をされた。母里先生にとっての「科学」は、文献から学んだ知識よりも、公衆衛生の現場で自ら疫学的に調査し、確認し、納得したことが基本になっていた。

だから論旨は終始一貫していた。

たとえば、患者がいないのに、ワクチンの副作用ばかり出ている日本脳炎ワクチンについて、常に、「必要ない」と明言されたが、それは、毎年千人もの日本脳炎の患者が出ていた時代に、日本脳炎ワクチンの精製に関わっていた経験があったからだ。

横浜衛生研究所時代に母子感染防止のシステム作りに関わった母里先生は、横浜市で妊婦さんや小中学生の抗体を調べ、B型肝炎の抗体を持っている人の大半が肝炎の既往がないことから、ほとんどの人が知らない間に生ワクチンをもらって抗体を作っていたことを確認している。出産時の感染さえ防ぐことができればと、出産時にかけつけて母子感染防止をし、B型肝炎ウイルスキャリア率を大幅に減らすことに成功したのだ。だからこそ、B型肝炎ワクチンが乳幼児への定期接種となったときも声を大にされた。「すべての赤ちゃんにB型肝炎ワクチン接種なんて、必要ない。断固いりません!」

インフルエンザワクチンに疑問を抱いた母里先生は、横浜市中の過去10年分のインフルエンザワクチン接種率と学級閉鎖のデータを調べあげ、「やっぱりインフルエンザワクチンは効いていない」と確信する。その後、東北各県の衛生研究所でインフルエンザの疫学研究会に参加し、さらに広くインフルエンザワクチンの調査を続ける。「山形の衛生研究所でね、寝たきりの高齢者にワクチンを打って、ワクチンの抗体を調べた調査があったの。ぜんぜん上がってなかったよ」

この研究会の流れで前橋市のインフルエンザ研究班にも参加する。それが、「ワクチン非接種地域におけるインフルエンザ流行状況」いわゆる「前橋レポート」である。

「前橋レポートの一番の意義は、ワクチンをやめた前橋市とワクチンを打っている高崎市、双方の医療費が変わらない、ということ。これが一番のデータね。同じ自治体の中の、同じくらいの規模の市を比べられたというのが最大の成果なんですよ。ワクチンをやろうがやるまいが、医療費はかわらない、それはだれにも覆すことができないデータなんです。学校の先生も行政もからんで、地域ぐるみの調査ですよ。とにかくこのメンバーは燃えてたから。親から同意をとって5年間にわたり同一児童600人の抗体検査、そんなこと、今誰ができますか」

先生はいつも、「お前は30年前のデータを使って物を言ってるって彼(お連れ合い)に言われる」と笑っていたが、母里先生の「インフルエンザワクチンはいらない」は、これだけの調査が土台になっているのだ。

                *

最初の本で副作用について書いていたとき、ワクチンと自閉症の関わりについて触れようとすると、自閉症との関わりについての論文は否定されていて、今のところ確証がないから、入れないほうがいいでしょう、とはっきり言われた。科学とそうでないものとの線引きは明確だった。

ワクチンの副作用ではないかという仮説がよく出てくるものに川崎病がある。川崎病はとくに4歳以下の子どもに多く出る、いまだに原因不明の病気。ここ数年、増えている。乳幼児の予防接種が増えるにともない増加しているため、ワクチンのせいではないかと指摘する医師もでてきているので、先生に尋ねてみると、

「川崎病は、わからない」と、はっきり言われた。

「最近増えてるの? 手をやく病気なのだけど、ガンマグロブリン療法などをやって治療しているでしょう。ガンマグロブリンが効くということを考えると、なにかのアレルギーかとは思うけれど……。じつは、私も川崎病に関しては、100軒くらいお家を尋ねてね、調査したことがあるんです。公衆衛生院にいるとき、横浜一帯、川崎病がすごくはやったことがあるの。そのお家の特徴が何かないかと、公衆衛生院の簑輪さんと、ほんとに一軒一軒、家庭で使っている物など調べて訪ね歩いたことがあるんですよ。でも、なんにも出てこなかった。予防接種歴も聞いているけど、何も違いが出てこない。結局原因不明。途中で挫折してます。ワクチンとの関わりはわからない。つかまえられなかった」

 SNSなどではほんの数例くらいのことで断定的なことを言う医師も多い世の中である。100例でまだわからない、それが母里先生が追いかけていた疫学の世界なのかと襟を正す思いだった。

母里先生のスケール

母里先生のお話は、何度伺っても、そのたびに、新しい学びがあった。

医師免状をとってすぐ、腸チフスパラチフスの予防接種のアルバイトをして、その集団接種のありさまに驚愕した話。日本脳炎ワクチンの改良に関わった伝染病研究所時代、やっときれいなワクチンができたのに、国は認可を一年待って汚いワクチンの在庫処分をしたこと。横浜の衛生研究所時代、鶴見川にコレラ菌が見つかり、延々と塩素タブレットで無意味な消毒をさせられたこと。モントリオールで開かれた感染症学会に参加し、そこで知り合ったカナダの医師に前橋医師会のMMRワクチンによる無菌性髄膜炎についての論文を送ったところ、カナダではMMRが即刻中止されたこと(日本では副作用を出しながら延々と危険なMMRワクチンを子どもたちに打ち続けた)。

昔話がそのまま感染症の歴史になっている。

「35億年の昔、海の中でバクテリアみたいなものが生まれて、それが進化のあげく人間になったっていうことだって、奇跡に近いわけでしょう。人間の進化の歴史に比べたら、ワクチンで病気を予防するようになったり、ウイルスが発見されたりしたのなんか、つい最近のことですよ。それを、どっかひとつ遺伝子をいじるとか何かやって、それでなんとかできると思うなんて、人間の思い上がり、浅はかさでしょう」

母里先生の頭の中には、先生の公衆衛生の現場経験のみならず、太古の海で生まれた生命から始まる長い年表のようなスケールがデンと居座っているように思えた。そのスケールで最近出てきた眉唾な科学を一刀両断された。

                 *

そして、世界に広がる横のスケールも、常に頭の中にあった。地球上の世界が広いことをいつも意識されていた。あまりにばかばかしいニュースが続くと、首を横に振り、アフリカのサバンナや南米をのぞむように遠い目をされるのだ。

「マダガスカルの蚊は蚊取り線香に止まってたよ(笑)」

 日本脳炎のワクチンは、日本人が作った物なのだから、世界のためにワクチンを作り続けなければならない、という話に先生が腹を立てたときだったか。

蚊だって世界中その土地の風土によって違うでしょ、日本の蚊取り線香はマダガスカルの蚊にはぜんぜん効いてなかったよ、と。

先生は旅のことを「遊びに行く」と言って何よりも楽しみにしていたけれど、旅は、世界と地球の大きさを感じ、生物の多様性を実感するための、先生の大切な手段だったのではないかと思う。

 

ひとの痛いの百年平気

私事だが、数年前、夫が難病にかかり、日常生活で介助が必要になった。そのことを、友だちより、誰より気にかけてくださったのは母里先生だった。身近な人でも案外、家族の体のこと、介護のたいへんさを気にかけてくれる人はいないものだということを、この立場になって初めて知った。母里先生は、電話で話すたびにも、必ず様子を尋ねて案じてくださった。

忘れられない一言がある。

「家族で、介護するものはほんとうに大変ね。……でもね、一番苦しい、辛いのは、ご本人だから」

 今私はこの言葉に支えられている。

先生の名言に、「ひとの痛いの、百年平気」という言葉がある。諺なのか、何かの引用なのだろうかと思い、先生に尋ねたことがある。

「だれが言った言葉だかわからないんだけど……。患者に対してね、痛みというものは、共有できない。だから、どこが痛い、ここが痛い、って訴えられたときに、痛いわけない、ということは絶対に言えないということ。わからないの。痛みって、当事者にしか。歯が痛いとウンウンうなっている人の隣で、平気でぐうぐう寝られるわけ。痛みは話で聞くことはできても、痛みは決して共有できないし、絶対にわからない。だから、決してひとの病気をわかったようなことを言うな、っていう戒めね。誰が言い出したことかわからないけど、すごく印象に残っている言葉なの」

 母里先生はどんなときも、絶対的に、痛い思い、辛い思いをしている人、弱い立場の人の側に立つ。人一倍深かった共感と思いやりの気持ちは、その痛みを自分は真にわかってあげることはできないのだ、という謙虚さから来ていたのかもしれない。

「あんな小さい赤ちゃんに一度に6本も注射を打つなんてかわいそう、虐待だよ」と顔をゆがめ、平然と赤ちゃんにワクチンの同時接種を打つ医者への嫌悪感をあらわにしていた母里先生。

 B型肝炎の母子垂直感染防止のシステム作りに関わっているとき、キャリアのお母さんから生まれてすぐの赤ちゃんにワクチンを注射するため、安全性を確認しようと、とりあえず赤ちゃんの3倍量のワクチンを自分に打ってみたという。「こーんなに、腫れ上がりましたよ」。

乳児に同時接種など言語道断、そう頭では理解はしているけれど、私自身、赤ちゃんの身になって考えているわけではなかった、今気づいた。もし、自分が1日に何本もの予防接種を打たれると考えたら? 右腕、左腕、太ももにも……想像するだけで体が冷たくなる。

新型コロナ禍の今、気づけば、ワクチンに全幅の信頼を置いているような人でさえ、3回目の接種は遠慮したい、と言い出している。乳児にあれだけのワクチン接種をすることの恐ろしさを、人は少しは想像できるようになるだろうか。

予防接種裁判の被害者に寄り添い、被害の実態を知り、親御さんの苦しみを目の当たりにしてきた母里先生。ひとの痛みはけっしてわかってあげることはできない、ならば自分には何ができるだろうかと、徹底して痛みを訴える少数の人たちの側につき、誠心誠意寄り添うことを全うされた。

                 *

2007年の年末に刊行された「インフルエンザ・ワクチンは打たないで!」は話題となり、版を重ねた。ワクチンの生産量が着々と伸びているところに、石つぶてのように投じられた一冊になったと思う。

それ以降も母里先生と作った本はほとんどが重版された。先生も自ら講演会に本を持ち込んで宣伝してくれた。読者層を広げたことを何よりも喜ばれ、本の販促のためにギャラのない講演会も引き受けてくださった。船で海外への長旅に出られるようになってからは、母里先生が船から下りるたびに、本の注文や講演依頼が増えた。

一方で、年々ワクチンのプロパガンダが巧妙になり、ワクチン産業が膨らんでいくのは、ほんとうに悔しく、無力感を感じることだった。

インフルエンザワクチンを打つ人は6千万人にも増え、乳幼児の定期接種は何本も同時接種をしなければ間に合わないほど増えた。本を重版したり改訂したりするたびに定期接種の欄に書き入れるワクチンが増えていく。

「あるお母さんに聞かれたの。自分の母子手帳を見たら、BCGとはしかの予防接種しかしていなかった。どうしてこんなに今は予防接種が多いんですか、病気が増えたんですか?って…」「病気が増えたんじゃありません。ワクチンができただけです、って言ったの」「最近増えた定期接種は全部いりません!」

「インフルエンザワクチンを6千万人も打ってるなんて……。どうしてみんな、簡単にだまされちゃうの?」

その末路が新型コロナの騒ぎである。

「コロナ後の世界なんて、見たくないよ」とちょっと捨て鉢に言っていた先生。

「インフルエンザワクチンだって、感染は防ぎません、重症化を防ぐためです、って厚労省もずっと言っているわけですよ。新型コロナワクチンも感染は防ぎません、ってはっきり言っているでしょ。それなのに、なんでワクチンをどんどんやるとこの騒ぎが収まると言えるんですか。詐欺だよこれ」

「新型コロナのおかげでね、病気での死亡率が下がってる。みなさん健康になった。コロナで超過死亡なんて出てないから。それより、出生率がものすごく下がっちゃったでしょ。去年で年間の出生85万人。今まだ100万人くらいかと思っていたら、ここへ来てガタガタと。戦後の一番多いときは、250万人生まれてるのよ。3分の1よ。この騒ぎでまた減ってる。自殺者も多い。こんな世の中見たくないって、やっぱり、言いたくなる」

 公衆衛生はもう全滅させられている。ワクチンに行くしかないという路線ができてしまった……。本音では悔しさとむなしさでたまらなかったはずだ。でもそれでも、母里先生はつながったひとりひとりに希望を見つけようとしていた。「私はコロナで元気になった人なの」と言いながら、新しく出会った人たちとの会合に積極的に出かけていた。

「今回のことで、ワクチンに疑問を持つ人が多少なりとも増えたことはよかったことだと思うの。Facebookなどで同じ思いを持つ人とつながれるようになったことは、大きな希望だと思うから。消されちゃうにしてもね。Facebookに書いてくれる人も、先生のおかげでワクチン打たずにすみました、ひとつも打たずに元気です、ってメッセージを書いてくれる人もいる。そしてその人の子どもからまたリクエストが来たりするの。だから、ずっと言ってることが無駄ではなかった、という気がするのね。だから、言い続けなければならないと思ってます」

新しい本を作りましょう、と持ちかけたところ、やりましょう、と言ってくださった。

 これまでの集大成として、ワクチンだけではなく、病気をどう考えるか、母里先生の考えを網羅したものにしたいと考えていた。

「うつる病気はだれのせい?」という仮タイトルをつけて企画書のメモを持っていくと、そうそう、そういうことよね、と先生は喜んでくれ、すかさず、

「『うつる病気にかかっちゃいけないの?』」

「『かかったら人間じゃなくなるの?』」

「そこまで言いたいよ」と。

「だって、コロナにかかって亡くなったら遺体に会うこともできないなんて。人間の葬儀じゃないと思うの。死人が他の人にうつしますか! 歩き回るわけでもなし」

先生の言葉に思わず唸っていると、「忘れないように書いておいて(笑)」。

つきつめていくと、先生のお話はいつもここに行き着く。病気を過度に恐れて、人の尊厳を踏みにじることは、あってはならない。

――病気の怖さをあおるマスコミと過剰に反応する人々。そこには「病気を持った人」への差別や偏見、「我が身さえ安全であればよい」とする考えが潜んでいると思うのです。

 このような考え方でかつて作られた法律が「らい予防法」でした。ハンセン病は治療により回復しますし、感染力も強くありません。危険な病気ではないのです。それなのに、ハンセン病の患者を囲い込む法律を作り、療養所に集めて、子どもを作ることさえ禁じたのです。

 病気のイメージは、その時の政治がどう扱うかによって、人々の意識が左右されてしまうものなのです。

 人類はこれまで、数多くの病気を克服してきました。ワクチンもその功績の一つでしょう。けれど、いまだに病に対する不必要なおそれ、差別や偏見を克服してはいません。

 この点の解決をみなければ、いつまでたっても、人々は病気の不安に脅かされ、二〇〇九年の新型インフルエンザ騒ぎのようなばかばかしいことが繰り返されるでしょう。私たちは、病気やウイルスについて正しい知識を持ち、不必要におそれないようにしなければいけないのです。(『インフルエンザワクチンはいらない』2010年)――

                 *

 春にまた船に乗り、旅に出るのを楽しみにしていた先生。それまでに刊行するつもりで原稿をまとめる作業をしていた。まだまだ時間があると思っていた。

富士山の見える先生の部屋で、読み合わせをしながら指導してもらうことは、もうかなわない。それでも、約束の原稿を今も書き続けている。なんだか、永遠に答え合わせのできない宿題を解き続けているような。

 でも、こうして母里先生の言葉を反芻しながら、文字を書き付けていくと、不思議と心は落ち着いてくる。「もう、わかるでしょ?」という先生の声が聴こえてくるような気がする。

母里先生の長年の同志である古賀さんは、「母里さんは船に乗って旅をしている最中と思うようにしたの」と。私もそう思おう。 

「もし今ワクチン打たないと、船に乗せないと言われたら? 医者連れてきて、空中にワクチン液飛ばして打ったふりして証明書だけもらう。だって一人分消費すればいいんでしょ。その場は従ったふりすればいい。悪法も法のうちなら、実害のないごまかしはやっていいのです。でもね。そうやってきたということは正々堂々と言い歩きますよ。それで言論統制で捕まったら、そのときこそ、居直ってやる(笑)」

 今頃、ワクチンのない世界で自由な旅を謳歌しておられるだろうか。

母里先生はたくさんの種をまいていかれた。種を受け取ったひとりとして、たとえ大きな花を咲かせることができなくても、一粒でも多くの種を取り、次の世代に引き継いでいかなければならないと思っている。「居直る」準備はできている。


母里 啓子さんを偲んで

笑顔で辛口のコメントをしている母里さんの姿が思い出されます。何度も学習会などでお話を聴かせていただき、また、多くの著書を通じて、うつる病気やワクチンなどについて学ばせていただきました。

北海道にも来ていただきました。せっかく北海道に来ていただけるのだからと、各支部の養護教員部が学習会を企画し、多くの養護教員のなかまが学習会に参加しました。私も当時支部の養護教員部で学習会を企画、運営する担当として、母里さんを地元のアイヌ民族資料館にご案内し、空港までお送りしたことを思い出します。

日教組養護教員部と母里さんとの関係は、1989年に開催した第29回日教組養護教員部研究集会全体会において、「予防とは何か」と題して記念講演をされたところから始まりました。(日教組養護教員部50年史より)記念講演では「感染症というのは、かからなければいいのだろうかということをます最初に問いかけたい」と投げかけ、「病気にならないための情報をどこから得ているのか」「マスメディアから得た情報が果たして本当に正しいのか。その正しさをどうやって検証するのか」ということを話されました。その年は、第1分科会「子どもの健康をめぐる問題(記念講演受けての学習分科会)」の助言者としても参加されており、その後は、1993年の第33回、2000年の第40回から2004年の第44回と研究協力者として、ともに歩み、私たち養護教員に学びの道を示してくれました。

今思えば、もっともっと母里さんと深くかかわり、学んでおけばよかったと思っています。もうお話を聴くこともできないと思うと寂しい気持ちでいっぱいです。きっと、母里さんと関わったことのある養護教員は、同じ思いでいると思います。

今年開催した第60回日教組養護教員部研究集会の養護教員部長あいさつの時に母里さんの訃報を参加者のみなさんにお伝えし、新型コロナウイルス感染症の状況下で、予防接種について、声を上げることが難しい状況ではあるけれども、母里さんの思いを受け止め、大切にしながら、これからも私たちは問い続けていきたいということを確認したところです。

最後になりましたが、母里さんへの深い感謝をお伝えし、ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

                          2021年12月26日(日)

                    日本教職員組合養護教員部 部長   菅谷 宝子


感謝を込めて

10月7日のタネまき会で、元気にお話をされていたのに、その一週間後の母里先生の急逝は今でも信じられません。

MMRワクチン大阪訴訟では、先生に意見書を書いていただくなど、裁判を支援していただきましたし、ワクチントークやタネまき会でのお話、先生の著書から感染症やワクチンについて多くのことを教えていただきました。

また、MMRワクチン被害者である娘の花のことをいつも気にかけていただき、直接会ったことは無かったかもしれませんが、Zoomでの集会で顔を見せたときは、とても喜んでいただきました。その時の優しい笑顔は忘れることができません。

いつまでも、天国から花を見守ってください。ご冥福をお祈りいたします。

岩手県花巻市 上野秀雄・花(MMR被害児を救援する会)


母里先生がお亡くなりになられたことが悲しくてたまりません。母里先生の優しさの何分の一かでも心に持ちワクチン、コロナ、マスクの意味について出来る限り個人としても周囲へ知らせていきたいと考えました。今後も活動を応援させて頂きます。

城戸偉頼


自然体で

母里 啓子 様

ありがとうございました。永い闘いの日々本当にご苦労様でした。
「静岡予防接種を考える会」一同(と申し上げたいのですが、ほとんどのメンバーがお先に彼方で母里さんをお待ちしています)感謝申し上げます。
 ワクチン接種被害者の立場から予防接種行政を問い続けた静岡の闘いに沢山の勇気を与えていただきました。
 藁科勝治さん・雅子さん、鈴木美子さん、桜井知佐子さん(静岡予防接種を考える会設立時メンバー)にはお会い出来ましたか? 静岡茶と赤ワイン🍷を送っておきましたので心おきなく語らって下さい。
 藁科正治君は種痘ワクチン接種後脳炎の断続的発作を抱えながらも50歳の日々を生きています。1歳8ヶ月から静岡市の予防接種行政に警鐘を鳴らす役割を貫徹してきました。
 ワクチン禍、50年逆戻りしてしまいました。今こそ「しなやかに」「しぶとく」歴史をまっとうに直す闘いを始めましょう。
 自然体で闘い続けましょう。母里先生! 共に頑張りましょう

             「静岡予防接種を考える会」○人衆  


亡き母里 啓子先生に

 母里啓子先生の訃報を伺い、大きな支柱を失いました。

6月20日のワクチントーク北海道集会で母里先生のお元気な様子、タネまきトークでの明快なお言葉がいまだに脳裏に浮かびます。

研究者として、そして実践家であり、市民運動として予防接種の啓蒙と副反応被害者の救済活動をされた母里先生のお姿私には目指す姿でした。

母里先生が残されたコロナへのメッセージ「ウイルス研究と感染症のこれからのためにいま問われていること」人間は自然との付き合いの中でインフルエンザ・ウイルスに対処しながら営々と生きてきたたかだか70年未満の歴史しか持たないインフルエンザワクチンですら、感染を防ぐことなどできていないことは歴史が証明している、新型コロナワクチン打つ/打たないの判断は個人の自由だが、ウイルスとはこれからも共生していけば良いと母里先生は残されました。母里先生のこの想いご縁をいただいた私たちはできる限り市民に伝えていかなくてはならないと思います。

母里先生はきっと久し振りに先にいらしたお連れ合いと再会され、美味しいお酒を交わされているのではと、思いを馳せます。

さようなら 母里 啓子先生 また会う日まで。

2021年12月12日                    篠田 江里子


タネまき会から

私は、昨年の8月からコロナの実体を知り、情報を得てはいましたが、Twitterで母里先生のFacebookを知り、4月に初めてタネまき会を見つけて、参加させて頂きました。

母里先生と古賀さんの魂の叫びとも感じられるお話を聞いて、3日間涙が止まりませんでした。

実情を知ってしまった以上、知らんぷりや見て見ぬふりはできないという気持ちでいっぱいになり、人にわかりやすく伝えるためにどうすればよいか、古賀さんに相談させていただくようになりました。

身内やお友達に口頭で伝えては、感情的になり上手く伝わりませんでした。

学校の先生方にはお手紙と、CNJの母里先生監修の本を資料として送らせていただきました。でも、受け入れて頂くことはできませんでした。

4月からの半年間は1人でトライ&エラーの繰り返し。本当に苦しかったです。

タネまき会で母里先生と古賀さんの掛け合いを見るのが楽しみであり、心の支えで、たくさんの元気を頂いていました。

最後のタネまき会で初めて顔を出して、母里先生に質問をさせて頂きました。

それが最初で最後の母里先生との会話でした。

遠くない未来に、母里先生には直接お会いできるだろうと勝手に楽しみにしていました。

それがまさかの訃報に、希望の灯火が一つ消えてしまったようで、本当にショックを受けました。

そんな最中に、子供が赤ちゃんの時からお付き合いが続いているママ友とその友達、総勢6名の繋がりができました。

母里先生や古賀さんのFacebookで知りました、元理研特別研究員・元ワクチン開発者でいらっしゃる小早川智先生のお話会に、皆で参加致しました。

3回目の接種、512歳の接種が迫っており、「1人でも多くの方に、ワクチンのことや食の大切さを知ってほしいよね!」と6名のママ友の気持ちが一致して、急遽12月某日に小早川先生のお話会を開催致しました。

残念ながら予定が合わず古賀さんにはご参加いただけませんでしたが、

・打つ・打たない?新型コロナワクチン

・予防接種

・予防接種2

を販売させて頂きました。

小早川先生はこの日、母里先生からの氣をたくさん感じられたそうです。

母里先生の想いをたくさんの方に伝えていく必要がある!と。

おかげさまで、本は完売しました。

母里先生のおかげで、古賀さん・ママ友・小早川先生とのご縁が生まれたことに、繋がりの輪が波紋のようにどんどん拡がっていることに感謝の気持ちでいっぱいです。

この輪が更に広がっていくように、地道に草の根でひとりでも多くの方の心に届いてくれればと願って

これからも6名のママ友と共に、伝えることを気負わず続けていければと思います。

母里先生は、タネまき会で毎回おっしゃっていましたね。

「コロナのお陰で、ワクチンや予防接種に関心を持ってくれる人が増えて嬉しい!

それが希望だ!」と。

 母里先生、天国から見守っていて下さいね。

古賀さんと一緒に応援よろしくお願い致します。

 横浜市 M A


HPVの被害者支援をしています

 
母里さんの訃報をFBで知った時は非常に辛かったです。残念で仕方ありませんでした。
このコロナ問題において、まだまだ活躍して欲しかったのですが。
私は医療に携わる者です。15年程前にインフルエンザワクチンの有効性について疑問を持ち、ワクチンの勉強をキッカケに母里さんの存在を知り、本を購読し講演に参加させて頂きました。その本は私のバイブルとなっています。
そして今は、子宮頚がんワクチン被害者支援に携わっています。娘のHPV Vも考えた末に接種しない決断に、母里さんのおかげです。
「ワクチンを断る一番いい方法は
過去にワクチンの副反応被害にあった」と言う事、本当に有難い言葉でした。実践してます。
この異常なワクチン戦争に警鐘を鳴らし活動していただいた母里さんに感謝しております。
安らかにお眠り下さい。
                                        橋本 弘紀

母里先生へ

 『新型ウイルスについての考え方』を少し感染が落ち着いたら、静岡で学習会をしていただきたいと
 静岡県内各地のグループの人たちと話し合っていたところへ、突然の訃報に、未だに信じられない気持ちです。

広い静岡県各地で、ワクチン・予防接種の学習会をしていただいてきましたので、大勢の若いお母さんたちが母里さんと古賀さんの講演を聞いて、『自分で考える大切さ』に気づきました。

講演が終わって、主催者のメンバーと交流する場では、人懐こく、ちょっとシャイな笑顔で、「本当に、頭がついているのかって想う人が多すぎるよね・・」と言われた言葉が、今でも耳に残っています。
私も母里先生にそう言われないように、自分の頭で考え、しっかりと生き方を選んでいく癖がつきました。
 思い返せば、長くお付き合いをして頂いていたのだと、改めて、母里先生と出合えたことを幸せに思い出します。
母里先生が感染症の専門家として、今のコロナ政策をどう思っていらっしゃるのか、美味しいものを食べながら、温泉に浸かってお話を聴きたかったです。
本当にお世話になりました。感謝しかないです。ありがとうございました。

  健やかな命のための生活講座・プラムフィールド 代表 馬場利子(静岡県静岡市)


母里啓子先生が天国にいかれました

ママエンジェルスのワクチン専門調査会に委員としてご参加いただき大変貴重なご意見をいただいておりました。大変謙虚で優しい方ですが意見ははっきり述べられるそんなお人柄でした。

日本のワクチン史における母里先生のご活動の成果は大変大きなものがございます母里先生が大変な思いで積み上げてきたことをいくばくかでも日本のママさん達で継承していきたいと思っています

母里先生 お疲れ様でした。天国でゆっくりなさってください。今まで本当にありがとうございました

  ママ♡エンジェルス 一同


母里さんを偲ぶ会 ナマケモノ倶楽部編

2021年はコロナとオリンピックで混沌とし、本当に大切なことを本能として求める人が増えたように感じられます。
ピースボートで洋上や異国の景色をご覧になるのを楽しみにしていらした母里さんが、今、近くにいないことは寂しいですが、これからも疑問を声にだし、世代をこえて連携していく姿勢に学び続けていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
 
先日の偲ぶ集まりでも放映させていただいた、2020年7月インタビューの
15分ダイジェスト版、You TubeにアップできたのでURLをお知らせします。

https://youtu.be/Mxs20IYFHMU

ナマケモノ倶楽部

https://www.facebook.com/watch/?v=981573022706170

参加者の皆さんから

・コロナワクチンの影響について知りたい

・ワクチン礼讃論以外の専門家のお話を伺いたいです

・この案内で母里さんがお亡くなりになったことを知りました。今とても関心のあることですし、今回お話される方々のお話もぜひ聞いてみたいので、楽しみにしています。

・もやもやしているワクチンについて。離れて生活している息子、大学で留学を希望している娘は悩んだ末、受けてしまいました。今後3回目の接種とか、治療薬のこととか、色々情報はあるけれど、何を信用したらいいのか?腑に落ちないことが多いです。

・大変興味があります。

・母里先生のご冥福をお祈りいたします。HPVワクチン被害者の支援活動にも関わっています。

・今年のご縁で 多くを学ばせていただいてた矢先の訃報に、驚きの日々でした。少女のような笑顔で、余計なことは「ほ〜っておけ💗」と、我が道を貫いてるお姿が素敵。名の通り、心の「お母さん」でした。忍ぶ会をありがとうございます。

・ワクチン接種していない65歳、自治会長です。

・母里先生の訃報を聞き大変残念でした。まだまだ色々教えて頂きたかったです。コロナワクチンがきっかけとなり、子どもの予防接種についても再考することになり、母里先生の本を読み始めたところでした。講座で学ばせていただきたいと思います。

・ワクチンでは迷う事ばかりです。今後、自分の考えをまとめるために聴講せていただきます。

・母里さんのお話しもっと聞いてみたかったです

・今こそ母里先生のお話をたくさんの方に聞いてほしい、そのタイミングでのことで驚いてます。本を読み直してます。宜しくお願いいたします。

・母里さんのことは存じ上げませんでしたが、イベント内容に興味がわきました。

・いつも素晴らしい学びをさせていただいています。ありがとうございます。私たちは自分の頭でしっかりと考えないといけないと思っています。

・母里先生には、ピースボートで知り合い、たくさんのことを教えていただきました。生活クラブの活動の中で、毎年ワクチンの学習会を続けています。このような機会を作っていただきありがとうございます。

・ジャパンマシニスト社の「ちいさいおおきい よわいつよい」で創刊号から 母里先生のお話を糧にして仕事 育児 頑張ってきました。イベントでお会いしたときの優しい笑顔が忘れられません。

・ワクチンの事でもやもやする事が多々あります。学ばせて頂き、考えを整理する機会にしたいと思います。


社会の抱える問題を教えてもらいました

感染者にされた一年ほど前、身近な方から…。
「PCRで陰性を証明してから退院するべき」「疑わしきは罰する…お店でクラスターが起きたら迷惑だから来てはいけない」「感染したことを口外してはいけない」などの言葉に深く傷ついた時がありました。
しばらく引き篭もりになり、「たねまきトーク」に参加したりYouTubeなどで、母里先生と古賀さんのお話や笑顔に支えて頂きました。
『社会の中の感染症であるライ病を例にあげれば、隔離政策が感染症を克服した歴史は無い。なのに隔離の方向に偏るのは、排除することで「自分は安全な地帯に居たい」という考えが強い社会があるから。 そのような社会には「許容」しながら一緒に克服していこうとする考えや、弱者に寄り添う政策が求められる。』
という母里先生のお話しを聞いた時には、自分の中にあるヒリヒリと消えない痛みを、母のように強く優しく包み込んで貰えたようでした。
また、母里先生のこのメッセージから、社会が抱える問題を意識するようになりました。

正直、大切な大切な母里先生を失ってしまったことを想う度悲しくなったり、こども達が治験者になることを止められない…そんな無力さに膝を抱えてしまったりですが、あきらめず、子どもたちやその先の命を守るため、仲間と一緒に母里先生を偲びながら、蒔いていただいたタネを育てていきます。出会えたことに感謝すると共に謹んでご冥福をお祈りします。ありがとうございました。

 
熊谷けいこ
 
以前お世話になったお話会の参加者が教えてくれた、ちょっと笑える作品を送ります。

https://youtu.be/KlyFdsxyDB4

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